たぶん完璧主義の呪縛から解放された、経緯

人間のパーツを、
体、
魂(よく判らないけど)、
お腹(本能?)、
ハート、
マインド(思考)、
という感じで分けるとすると、正直さにおいては何に軍配があがるかって、やっぱ体だな。
 
体に任しときゃいい、って最近思う。
 
つか、上記分けたものは、マインド以外はすべて本来有機的につながっているはずなので
(そのつながりを分断するのがマインドなのでマインドだけ別に分けるのだけども)、
体ですべてみる、って言っても、
それはハートの表れだったり。
お腹(本能?)の表れだったり。
そういうのを止めるのが思考なので。
 
 
体がほんとに勝手に動いてくれるんですよ、
というのを、前も書いているけど、
たとえばDIR EN GREYの音楽を聴いてだったり瞑想を始めてだったり、
そういう経緯で経験して、自分(マインド)では自覚できないとこで、何か、自分のいろんなとこがつながろうとしている、という、何か別個の生き物の意思のような。
マインド以外のものに対して、そういうふうに感じました。
 

で、前回のACRのクラスのとき、フェルトセンス、特定のことを考えたときに体にどういう感覚があるか、または何を思い浮かべるか、というところにフォーカスする、というのを集中してやったんだけども、そのクラスの最後で、その、フェルトセンスに集中すると、体が勝手に動くという、自分としては、瞑想中に起ることと同じで、
ああ、体が勝手に修正してくれてるな、
と思いました。
 
瞑想でなくても体が勝手に動く、というのは、
今年の春くらいに、筋反射は自分では取れないけれども、
何か、すごく単調な作業に入り込んで、同時に思考を泳がせると、
ちょっと潜在意識にアクセスするセッション中に浮ぶようなことと近いものが浮ぶようになって、
そのときも、体が勝手に動いて自動的に何かを修正して、
ぱっと、頭に何らかの結論が出て、で体の動きは止って力が抜ける、
というような。
 
そういうことがあったので、ACRセッションにおいて体が勝手に動く、というのも、自分としては珍しいことでもなく。
 
 
で、いろいろあって、今はひとりセッションをできることになったわけで、7/30はとってもこの体が勝手に動く、ということが起って。
 
もう、(体に)任せようかなあ、
ってのが、自分としてはいいなあと。
 
ホットシートっていう、相手になりきって話をする、
で、それを聞いて自分はどう思うのか語る、みたいな、
「一度相手になってみる」という体験をする(潜在意識の)修正?があるのですが、
(そうすることで、それまでの、「相手はこう思ってたはず」という自分の思い込みが取れやすくなる)、7/30はこれを、
「自分対自分でやろうぜ」
ということになり。
 
その前から、自分のなかで、
たとえば左右脳の統合だとか、
対立する意見のない状態だとか、
対立する意見がなければニュートラルにその瞬間瞬間にふさわしい解決策にいけるわけで、
でもかと言って自分のなかの何かを「いけない」と抑えこむのでもなく、
という、何でもあり、でありながらもその瞬間瞬間には統合されているという、
そういう方向への模索みたいなものもあって。
 
あともういっこ、大きなものとしてあったのは、先日紹介したキャシーさんの記事でした。
これまでも何度も書いてるけど、確かに私は不幸癖(被害者でいたい病)がある。
 
で、それが心底、やっぱり甘えであって、と言うか、
自分にはどうにもできないと思ってるわけ。
過去の、何らかの出来事にしたって、
私はどうにもできないので周りの人、環境、お願いします、
みたいな。
 
高校のとき、担任にも男友達にも
「他力本願だ」
と言われたことがあり、当時は「うるせえ」と思ったのですが。
 
でも、自分でも、自分て逃げの人だよなあ、と思ってはいたり。
前々回のクラスのとき、キャシーさんに
「とりあえず逃げる傾向がある」
と言われて、「あ、やっぱしい?」と思ったしw
前回のクラスのときは、隠さなければならない自分、という話になって、一生懸命、だめだったりする自分を隠そうとしてる、ということもまた教えてもらって。
 
そういう諸々の流れのなかで、ひとつの事件はやっぱさっき書いた、先日紹介したキャシーさんの記事だった。
 
 
あれを読むちょっと前に、ヒロシくんに大変お世話になったのですが、それでもなお、どうも彼と幸せになろうとか思ってない自分、というのに気づいて。
 
それはびっくりしたものでした。
相手は幸せになろう、と一生懸命なのに、私は、ほんとに、あの人とどうしたいのか、と思ったら、
結局、過去の、癒されてないところを癒してほしくて、
つまり、悲しみや痛みでつながりたいと思っていて、
自分でさすがに
「こりゃ餓鬼だな」、
と。
 
でも、こないだも引用したここ↓を読んで、改心した。
 
相談者さん、ましてやあなたは、彼が
暖かく支えてくれているではありませんか?

彼が愛してくれているかどうかを気にしていますが
あなたは彼を愛していますか
彼に何かをしていますか
幸せを与えていますか
笑顔はどうでしょうか
何か喜びの中で彼にしていることがありますか

ご自身が楽しいからしてあげたいから
してあげること、これがどれほどパワフルか、少し
やってみてください。悲しむのではなく
彼に何か喜びを分かち合いたいことはありますか

今日は一緒に楽しいテレビを見て笑うことはできますか?
今日は何か食事で作ってみたいものはありますか?
彼に何かできることはありますか?

いいえ、たとえ何もできなくてもいいんです。
ただただ、幸せな自分になろうかなあ
なってもいいんじゃないかなあ、そこから
はじめてみてください。

 
気づいたら、
悲しくなる、
切なくなる、
不安になる、
自分の言動をずっと考えて
「あれはもっとこういう理由がある」
とか誤解を解こうとこだわる、
あるいはヒロシくんの欠点について、ずっと考える、
ここがこうなってくれたらいいのにと思い続ける、
これらが、私が彼との関係で(私の脳内で)入り込んでいたループであって、で、それらが全部、
「相手が何とかしてくれたら何とかなる」
という態度に基づくもの、
私には力がないので何とかしてくださいという態度、
であったわけです。
 
小さなことでも、何かを決めたら、必ずその決定のconsequenceの責任は発生するわけだけども、
その責任を負いたくないので、
何においてもどういう決定もしなくて、
すべて流れで、
いや、ほんとに流れに任せるのはいいことなのですが、
そうでなく、自分の決定は常に保留にしといて、
相手がこうしてくれたからこうする、
相手がこうしたからぐらぐら不安定になる、
それはまあ、私の今までの人生において一貫した態度でした。
 
でも、悲しみを感じる傾向が強い、というのとか、
ああ、全部、自分で自分には何ともする力がないと信じてるからか。
と(心底)判ってから。
 
また、私は口でどんなに
「幸せになりたい」
と言っていても、このほど、ヒロシくんとの関係で何を求めてるのかな、と考えたときに、↑で書いたように、悲しみ、痛みの再生、という答えが出て、私ってほんっとに幸せになんかなろうとしてなかったのだな、と。
ほんとに判ったのですが。
 
で、だから、↑で引用した、
 
ただただ、幸せな自分になろうかなあ
なってもいいんじゃないかなあ、そこから
はじめてみてください。
 
 
ほんとに、こういう段階なんだよね。
 
でも、これに気づいたら、
そして、不幸癖は、自分に力がない、と思っているのと同じだ、という概念が強固に私のなかで知識として存在するようになったこと、
そしてまた、何かで悲しみとかに入り込みそうになったとき、
いや、それがどういう理由であろうと、悲しみに入り込むのは、
「あなた何とかしてよ」
ということであり、そこで、
いや、フォーカスすべきはそこちゃうやろと、
ほんっとに、ヒロシくんに何ができるのかと考えたら、この、不幸癖をやめて、幸せな自分でいること、だと。
 
これって結局「決意」なんだね。
きっとものすごく大変だろう。
でも、焦点を、これまで何らかの過去の感情の癖から入り込んでたところから、相手の人に何ができるだろう、にシフトする。
 
コツはつかんだ。
 
自分の心あるいはマインドが何をしようとしてるか、常にみてる。
入り込もうとしてるな、とか、
いや、一時期は入り込んでもいい、癖だから、でも、気づくこと、
あ、入り込んでるな、
と気づく、
じゃあそこでどうするんだっけ、焦点はどこに合せるんだっけ。
 
 
挿入長くなったが、「自分対自分のホットシート」の話にいく。
 
面白かったのは、マインドの自分、ってのじゃない自分、を設定して、それが、それまで自分が座ってた椅子の対面(といめん)にいる、ということで、そこに立ってみたら、体が勝手に後ずさって、隣の部屋に行って、自分が座ってた椅子を見ようとしないというwww
 
でも、そのうち、駄々っ子みたいに腕をぶんぶんしだして、胴体も動きだして、そうすっと、自分が座ってた椅子を、ちら、ちら、と見出して、何か言い出すわけですw
 
そうやって、ほんとに子供みたいに、腕をぶんぶんしたり左右に体をふるふるしたりしながら、ずっと、
「だってさ、だってさ。私が一番いい方法を考えてあげてるのにさ。みんな待ってくれなくてさ」
とか言ってるw
 
で、そんな駄々っ子な自分に対して、もともと椅子に座ってた自分は、
「ああ~もうううっとうしい。もう考えんでいいて。あんたがのろまだもんでみんないなくなるんだて」
といらいらしてひたすら怒っているw
 
自分、ってのはこれら以外にもいっぱいいると思うのですが、
それらが、互いを全然見てなくて、
何かあると責任をほかの自分に押しつけようとしていて、
統合どころではない、というのがよく判ったww
 
けど、その直後、体がまた勝手に動いて、左右の手の平を合せて、インドの踊りのようなことをしだしたw
何分か踊っているうち、あ、左右脳の統合をやっているな、と気づきました。
(左右脳の統合は左右の指二本ずつを使って確かめることができますが、詳細は割愛。まあ、それの、手の平バージョンだな、と思った。)
ちらっと手をみると、ほんとにきれいに手の指までびしっと左右合わさっており、
おお~何か判らんけど体が勝手に統合を試みてるな、
と。
 
で、また勝手に手の平が離れて、踊り終り。
 
その後、何か知らんが口が英語しか話さん、という状態になっていて、英語でしばらく思考を泳がせていました。
(これも体が勝手に動く、と同じジャンルのことだと感じた。ほんとの英語話者とは違うと思うけど、私の脳でも、日本語話してるときと英語話してるときでは違うところが働いていて、そこの部分を働かせたい、と体が思っていたんだろう。)
 
で、その結論が、7/30に書いた記事ですた。
 
英語でずうっとヒロシくんとの関係について話していたら、
「相手が何でこうなんだろう」
ということが、全部、
「自分がそういう人をやっぱり望んでたから」
というのも判ってきて、
で、そのうち、いきなり、目のなかで、自分に関する要素がすべてきれいに同列に同じ光が当ってる状態で、並んだ感覚がきた。
 
このセッションをやる前に、ヒロシくんと電話していて、ちょっと恥ずかしいな、という話になって(くだらないのだが、冷凍のうどんを、具も何もなしで食べた、と言ったら、「栄養が取れない」とつっこまれ、いたたまれなくなったwww)。
 
けど、そういう、だめな、特に、これは私が勝手に色づけしている、「女性として」(特に日本では)だめそうなところを、彼に見せるのがいたたまれなくて、
しかし、その、だめえな自分が、
時に、お菓子で食事を済ませてしまったりまでしてしまうだめえな自分が、
そこに、ふつーに在って、
あれ、たとえば今、ずっと英語で話していて、それは、私はバイリンガルではないので、ちょっとすごいことかも知れませんが、
でも、そういうのと、
冷凍のうどんを麺だけで食う、
あるいはせんべいを夕食にする自分が、
同列に並んで、
あれええええ、これってぜええんぶ自分じゃん、同等に、同列に、ただ、自分なんじゃん!
と。
 
頭では、ずうっと、
自分が完璧主義であり、
カッコつけであり、
ということを知っていて、がんばって
「だめな自分でもいいじゃん」
と言ってみるのだけど内面では全然そういうとこにいってなくて、いやしかしほんと、何だろ、この、
「頭だけで判ってる状態」

「ほんとに心が納得した状態」
の違い。
 
違う!
違うったら違う!
 
 
ちょっと、ここまでに至る要素の、たぶん数分の一しか書いてないので、変化のほんとの姿、は全然想像できないと思うのだが、まあ、こんなこともあったよ、ってことで。
 
 
7/30に書いた記事は、まさに、
「今この瞬間に悟ればいいじゃない」
って話。
 
こういう自分になったら、
あれを身につけたら、
これを乗り越えたら、
じゃなしに、
「今!」
 
「だめ」なことは何ひとつ「ほんとにだめ」なことでも「悟りから自分を妨げているもの」でもない。
 
あーだこーだあーだこーだ自分にダメ出しし続けるマインドさえも一緒に、
「今!」
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by 6ssorelativo | 2012-08-02 22:41 | 前へ進むということ

日々、潜在意識に操られるのもしんどいですよね。操られないポイントは、潜在意識と対立しないこと。そして潜在意識に負担をかけないこと。そのへんのお話から、前に進むヒントをお伝えします。(Access Code Reading(略称ACR)はキャシー天野さん開発のセラピー法です)


by 6ssorelativo