自分に苦しみを表現する許可を出し始めた話

何があってもなくても同じことを淡々と続ける。
 
 
書きたいことは溢れている。
日々頭に電灯灯る変化がある、埋葬していた自分が蘇生する、自分はほんとは生きていたのだと喚く声はやっと耳に届き、あ、いや、こういう表現はやめておこうか。
 
 
あのね、書いたか忘れましたが、私は生きてこなかった。
あるいは人間ではなかった。
いや、これらふたつは別の事柄ですが。
 
いずれにせよ、私の命は空っぽだったので、そこに音楽を配置して、代りに生きてもらった。
だから音楽は私のすべてだった。
 
DIR EN GREYが違ったのは、彼らは、彼らの音楽は、私の命の代りをやっているのではない、ということだ。
 
私と、DIR EN GREY。
私は、私自身の意志でもって、彼らの音楽を聴いていたい。
私の命の代り、ではなく。
私は私で、在る。
 
 
最近の怒涛の流れで、昨日は生れて初めて過呼吸というのになりました。
 
と打っていると、いっぱい打ち間違いをする、何らかの発作みたいなのがあると、左手がうまく動かなくなる。
 
明らかに何かが起っている。
しかしそれは、最初に書いた、埋葬していた自分の蘇生である。
 
 
不謹慎承知で書くが、私は病名のつく何かを発症した人が羨ましかった、またその話かと言われそうだし、まあ前のブログにしか書いてないけど(いつかここでも書くかな、誰かの役には立つだろう)、私は30年喚く自分を強制的に埋葬して、生きていることにしてきた、そのあいだ、数々の小さな体調の不調はあったが、大きく、心が悲鳴をあげているのだという確証になるような病気にはならなかった、しかし今、私はやっと許可を出したのだ!
 
私の「症状」は、仮病ではない。
私は私が苦しんでいたことを許してこなかった。
認めてこなかった。 
 
しかし今、私はやっと苦しみをひとに判るかたちで表現する許可を出したのだ!
 
 
何のことやらさっぱり、って感じになってしまい、申し訳ない。
特に去年10月からの流れは、きちんと書いていないから。
たまに事件が起こるとわっと書いて。
 
いつかsystematicに書けたらいいなと思ってます。
 
いずれにせよ、私は私が苦しんできたことを認めて、そして自分で自分を何とかするのだ。
 
もう「遠い誰か」の手を借りずに。
いや、あれはもちろん、最初のステップとして最善の方法だったし、あのプロセスは必要だった。
(MACHINE HEADのロブのことね。)
 
今はDIR EN GREYの音楽があって、瞑想があって、親友があって、仲間があって、そして、ずっと探してきた人はやっと現実に現れてくれた。
 
さて、ほんとにキーボード打ちにくいので、ちょっと休みます。
 
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by 6ssorelativo | 2012-08-07 22:17 | 前へ進むということ

日々、潜在意識に操られるのもしんどいですよね。操られないポイントは、潜在意識と対立しないこと。そして潜在意識に負担をかけないこと。そのへんのお話から、前に進むヒントをお伝えします。(Access Code Reading(略称ACR)はキャシー天野さん開発のセラピー法です)


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