「意識」をどこに向けるか

先日の「がんばったことの結果」って記事はさ、いっつも今自分のいるところを見てない、あるいはいっつも自分のことを見ずに他人からの目ばっかりに意識を向けてる、そういう自分に対して、投げかけてみたかったものでね。
 
私は、毎日毎日一日に何度もケータイでネットを見て、明らかに何かを探してるんだ、けど、その「何か」をほんとに見つけたためしはない。
 
もちろん一瞬はあります、それは何かってえと、ひとと交流できたとき。
端的に言えばコメントもらったとか。
 
けど、その嬉しさは、やっぱり一過性のもので。
(もちろん、どうでもいい、という意味でなく、私の得たい根源的な「何か」は、外部に頼って得ようとしているうちは得られない、という意味。)
 
その「何か」は自分の内側に見つけるしかないのだが、私はいっつも外を見ていた。
 
 
結局、自分を悩ましているものは何なんですか、というのを特定するには、自分を観察するほかない。
 
だから最近は、ケータイでネットをやるときは、
「あ~、何か探してるなあ、私」
と自覚することにしてる。
で、
「ここを見ても、得られない、得られない」
ときちんと確認したい。
 
あるいは、ひとと一緒にいて、ってかたとえばまあはっきり書くと恋人と一緒にいて、最近自分のある傾向をすごく自覚してんだけど、(ただ、これが出てきた発端はACRのセッションだった)、しかしその傾向にある自分の状態って、すっげえおなじみなのよ、なぜかと言うと、子供のときに、私は対象を親にして、おんなじ感覚でいたんだよね。
 
そういうときって、意識がもう全然自分にないんです、一緒の空間にいる他人にずううっと向いている。
で、その他人がどう思ってるんだろう、どういう行動に出るんだろう、そのとき私はどう対処しよう(しかもうまく、って「うまい対処」っていったいどんな対処なのだろう、そのへんもまた私独自の対人における感覚の問題なんだけど)、ってずっと緊張してる。
けど、それに気づくと、
「うわあ、今完全に意識が他人に飛んでた、自分はここだろ」
と戻します。
 
 
ってことで、ほんとは毎日でもキャシーさんの日記に関して思ったことを書きてえなあ、って思ってるんだけど、なかなか時間もなく。
 
↑とかも、ここ最近のキャシーさんの記事をみて、思ったことでね。
 
ってか、ここ最近のキャシーさんの記事は、それまでと明らかに傾向が違っていて、相談者の人ピンポイントでしか書かれてないように見えるのだが(それは以前より増して)、しかし、それでいて、広くヒットする人がいるんじゃないか、と思える。
 
と言うか、相談そのものも、この……2か月くらいだろうか、自分が知りたい、ってことを、ほかの人がドンピシャで訊いてくれたりする。
 
何か、同じようなところにいる人が増えてる、ってか、やっぱ共通した何らかのステージってのが人間の潜在意識のつながりのなかにはあるように思える。
 
 
せっかくだからやっぱ書くか。
 
あのさ、こないだ、こういう記事があったわけ。
 
「よい諦めると、悪い諦める」
http://plaza.rakuten.co.jp/therules/diary/201209100000/
「良い諦める、悪い諦める 2」
http://plaza.rakuten.co.jp/therules/diary/201209100001/
 
ちょっと引用するけど、
 
また、その答えられなかったことが残っていて後から
その悲しみを相手に分かってほしい、としてしまうかもしれません。
自分の夢をかなえるためではなくて、人に助けてほしい、ということが
課題にはっていきます・それがあると、夢はかなえられないんです。
いつも、人との葛藤が問題になります。人がこうしてくれなくて
人がああしてくれなくて、私は存在感がない、というここがテーマになってしまいます。

(中略)

この場合、ポイントは、人にくっついている、自分のしたいことよりも
それが優先になりすぎている、ということに気が付くことです。
すごく周りが気になって、自分が何かのアプローチをしたらそれがかえってくるのを
待っていて、そして一度限りで終わってしまい(あるいは何度か短い間隔で)
あーあ、あーあ、またダメなんだ、というように感じてしまって
期待をして何かをするんだけれど、相手の人によって
もたらされることを希望しています。

 
ここが、あんまりに自分と同じで、びっくりした。
(「存在感がない」、という感じ取りかたは私はしなくて、と言うか、この相談者さんの場合は、「存在感がない」がストレスになる言葉で、私の場合は「みんな私なんかどうでもいい、無視する」、あたりだと思うが。)
 
ってか、これで、気づいた。
 
自分も結局、
「自分がこれがしたい、こういう夢を叶えたい」
ということをしたいんでなくて、
「自分が何かをして、誰かが反応してくれたら先に進める」
ということをしてるんだよね。
 
だから私の行動と思考のポイントは常に
「他人がどういう反応をしてくれるのか」
にあって、すべての問題が、↑で書かれてるように、ひととの関係性に帰着してしまい、つまり、
「誰かがこうしてくれたら先に進める」
というふうになっているため、自分の力が出ない状態になっている。
 
私のこの記事も、冒頭から言っていることは同じで。
「意識が他人に向いている」
という点。
 
 
で、最初に書いたように、
「いっつも今自分のいるところを見てない、あるいはいっつも自分のことを見ずに他人からの目ばっかりに意識を向けてる、そういう自分」
というのがあるわけだが、ともかく意識がいわゆる「いまここ」にないわけで。
 
で、先日、キャシーさんがこんな記事書いてる。
 
「人は、今いる場所からしかはじめられない」
http://plaza.rakuten.co.jp/therules/diary/201209140002/
 
これって考えてみると当り前でさ、たとえばブロックを組み立てようとするじゃない、そのときに、「自分が今いる場所、今の自分」ってのは一段目なわけだよね。
けど、私もそうだけど、何か知らんがいっつも五段目くらいから組み立てようとしてるわけよw
組み立てられるはずねえってw
って、ほかのことにたとえればすぐに判るのにさ。
人間って、人生に対しては全然、
「ブロックを組み立てようとしてるんだけど、一段目をスキップして空中から組み立てようとして、いっこうに何も出来上がらない」
ってことをやってるわけだw
 
 
というようなところで寝ます。
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by 6ssorelativo | 2012-09-16 23:40 | 前へ進むということ

日々、潜在意識に操られるのもしんどいですよね。操られないポイントは、潜在意識と対立しないこと。そして潜在意識に負担をかけないこと。そのへんのお話から、前に進むヒントをお伝えします。(Access Code Reading(略称ACR)はキャシー天野さん開発のセラピー法です)


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