今回の関東遠征総括(長文)

今回の遠征でお会いしたかたがた、ありがとうございました。

うーん、今回もまた内容濃かったな~。

最初に、こちらの瞑想会に出席して、この件がまた今回の遠征にいつもよりさらに違う何かを付加してくれまして。

ACRのクラスでもそうですが、自分と同じテーマを持った人がいたり、それだからこそ、その人との共通ポイントって、今の自分に重要なポイントなんだなってわかるし、いやあ、やっぱご縁て不思議。

私個人に対して、具体的にどういうお話があったとかは、また後日気が向けば。
まだ整理できてない部分なので。

あれ~、でも、その後の土曜、日曜の流れと、今、金曜の瞑想会で伝えてもらったことが、つながった気がする。

ACR自体のポイントでもあるけど、人間は自分の本質を出すことを自ら禁じます。
なぜなら、大切すぎて、万が一否定とかされたとき、ひどくひどく傷つくからです。
だから傷つくのを防止するため本質をつながらない、というのを自ら選んでいるのがほとんどなのね。
(だからほんとにいわゆるメンタルブロックってのは自分で作ってるんだよね。)

私、口は下手なんですけど、とか言いつつでもほんとは人と話すの好きなんだけど(わしのセッションスタイルはおしゃべり多めかなという気がする)、でもたとえば親戚の集まりとかだったら、もう何も表現できないよね、とりあえず黙ってればいいだろう、みたいな。

けど、書くのは大好きです。
前のブログとかは、そうとう書きたいこと書いてた。
もし今のブログに面白味がないとするなら、そのへんの違いなんだと思うけど。

書くことでなら何でも表現できた、はずが、昔からのみなさんは覚えておられるでしょうが、非難のコメントが来て、正直に言いましょう、いまだに引きずってんの、あれ。
ほんとに傷ついたんだよ、あれ。

そっから、何か、あ~、もうほんとに書きたいこと書くのやめよう~、って思って、以来、何か、書くこともうまく回らなくなっちゃった。

でも非難した人のせいではないんだよね。
まだそのかたここをご覧になってるかも知れないからきちんと書いておくんだけど、非難て、ほんとは私自身が自分に対して疑問に思っているところを、他者が指摘してくれる、というのがほんとの構図なのね。

だから、私自身が、うん、今ならわかるけど、セッションとか提供する人は悩みなんかすでにない人でないといけないんじゃないか、と恐れていた、いや、今でも恐れているし、自分は自分のトラウマに引っ張られ過ぎなんではないか、と、自分で疑問を持っていたんだと思う。

だから、あのコメントは傷つきました、それも正直に言います、けれど、私自身から私自身への批判だったんだ、という理解までは辿り着けている。

ってなことを書くのもさ、きっと一般的にはNGなのよ。(かな?)
けど、書いてみた。

あ、で、非難はお断りです。
今の私は、非難があると自由に書けなくなるから。
この信じ込みがなくなれば、非難? へ~、になるかも知れない。

けどね、まあ全部書くか、瞑想会で伝えてもらったことは、もっと自己表現していい、ということでした。
そうしていくうちに楽しくなって、よい感じになっていくよ、ということでした。

で、ここで、今度はキャシー(天野)さんに言われたことにつながるんだけど、さっき書いた、ACRにおける思想、人間は、本質を出して傷つくといやだから本質は出さないようにする、という件ね。

私にとって、「意見」て、すごくだいじなんです。
だからほんとは、「私はこう思うんですけど」ってのを、すごく言いたい人なんだと思うし、言う使命があるんだと思う。
(前のブログ知ってくれてる人はわかってくれると思う。)

けど、ついったでもそうだけど、「意見」は、言わないようにしてんだよ、つっこみ入るのいやだし、反対意見が来るとどうしても傷ついてしまう。流せないんです。

だから、私の本質は、意見とか、何か、表明することと関係してて、でも、それは大切すぎるので、表現自体しなければ非難もされないし、と、自分でブロックかけてんのかな、という感じで、瞑想会とACRのクラスやキャシーさんのコメントが、ばっちりつながったわけですね、今。


キャシーさんの個人セッションでは、え、今頃これが出てくるのか、というのが出てきたんだけれど、思えば、ずーっと、ずーっと、そうだったわw、自分で、大丈夫になってたと思ってたけど、実はここ、変ってなかったわ、とよくわかったw

何かと言うと、感情を感じずに理屈を引っ張ってくる、という癖ね。
ある場面に直面したとき、自分が何を感じてるかじゃなくて、
「何でこの人はこうなんだろう」「何で社会はこんなんなんだろう」
とか、すぐ思うw

そう、「何で~なんだろう」は、ものすごおおく、癖ですw
ただ何らかの場面で、いやだったり、嫌いだったり、怒ってたり、悲しかったり、悔しかったりする何らかの感情を感じればそれが流れていくのに、それを感じることを禁止してるから、
「何で社会は!」
とか、いつも思ってんのねw

今、おとなりのお宅がにぎやかすぎるお宅で、それに対しても、ずっと「なぜ」と思ってるのw
なぜどすどす歩くのだろう、なぜ何やるにも壁にドンドン当るのだろう、なぜ、なぜ、w

感じるのを禁止してるから、ほんとは何感じてるかは今はわからないけど、これからわかっていけばいいなと思ってるんだけどね。

そんな感じで、濃かった。


表現、についてだけど、反対意見が怖いのは、自分だけが正しい、と思ってるのでなくて、ただ、怖いんです。

私は本来、「他者の意識」自体が怖い、というのも抱えていたから、その、他者が、あんた違うだろ、とか言ってきた日には、もうそれはものすごい恐怖なんです。
(今は、ほんとは意識に他者も自己もない、というスピリチュアル系の視点はちょっと置いておきます。)

でもさ~、いずれにせよさ~、自分にとってすごくブロックになってることとかって、めちゃくちゃでかいこと教えてくれてるよね。
だって、この人生にとって大切じゃなかったら、そのことは問題にさえならないもんね。
問題になり続ける、ということは、すごく、自分の本質との関係で、何かを教えてくれている。

よくあるのが、人が怖い人は、ほんとは人とかかわる仕事がしたかったり。
でも怖いからなかなかできないんだよね、でも、そこに、何らかの使命があったり。


と長々と書きましたが、考えることはしばらく休みます、自然に流れるのが一番いい流れ、という局面な気がするので。
(ブログを書かないという意味ではないと思います、ちょっと明日になってみないとわかんないけど。あ、セッションは受け付けています。)

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by 6ssorelativo | 2015-06-15 14:43 | 前へ進むということ

日々、潜在意識に操られるのもしんどいですよね。操られないポイントは、潜在意識と対立しないこと。そして潜在意識に負担をかけないこと。そのへんのお話から、前に進むヒントをお伝えします。(Access Code Reading(略称ACR)はキャシー天野さん開発のセラピー法です)


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