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またくだらない話

ゆうべBUCK-TICKのファンクラブ会報で久々にあっちゃん見たが、やっぱすげえなw

最近イイ男をよく目にするが(某バンドDが理由で)、彼らはあくまでも人間レベルでのカッコよさであって、あっちゃんはやっぱ神とかそういうものを連想させますよね。

まあトシヤさんは奇跡的な美形かも。
スタイル、特に後ろ姿もほんと美しいし。


ついでに
BUCK-TICKの今回のフェスどうしようなあ?
両日行くか悩むところです。

ねむい
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by 6ssorelativo | 2012-03-29 12:50 | 雑記

内側への旅に出よう

いや~、もうねえ、先週の金曜に「あ!!」ってもう、けっこう殴られた系の衝撃とともに「降参」したことがあって、もう、何だろうか、それ以降のこの、ラクな感じ。
 
先週の金曜はさ、その「あ!!」は昼休みの終りに起ったんだけどさ、もう午後の仕事が始まったしょっぱなから「それまでうだうだ言ってやろうとしなかったこと」ってのを「やりましょう!」と自分から動いて、ずっとフットワーク軽い感じが続いてんだ。
 
私はこうやって動く人だったんだ!
何かみんなで共通の課題があるときに、あのときこうしてたらとか現状お粗末だとか、そういうこと言うまえに、もうできることやっちゃえばいいじゃん、とかさ、私、そういう人だったんだね、ほんとは。
 
今日はイタリア人相手の通訳(もちろん英語)の仕事があって、外国人(たぶん西洋人限定)だと以前の苦しい感じが残ってるって判ったけど、でも、日本人同士ならば、うおおおおい、わしは「人が怖い」を克服したんだぞ!
 
人が怖いなんて幻想だった!
頭ではずっと知ってたけど、もう心も怖がっていない!
 
 
あまりのラクさ、穏やかさにびびってます。
 
人間って変れる、ってか、「本当の自己」と出会うことはほんとにできるんだな、諦めさえしなければ。
 
あと、そうそう、私ってほんとずっと受け身で、遊びに行くとかも、自分から誘ったことは、まあほとんどないんですが、最近は自分から友を誘ってみたり。
それも全然怖くないの。
 
前はさ、ことごとく傷つく責任を負うことを回避してたからさ、でも、今はそれも回避する必要ねえと感じるし。
 
 
まあ、最近自分の巨大な変化ぶりについてよく書いてますが、私は「変化が正義!」と思ってるわけでもなくてね。
「ほんとの自分とつながらなければ人生意味がない」と思ってるわけでもないしね。
 
ただ、私はあまりに生きてて居心地悪くてリラックスしてるときなんて皆無に近かったから、特に大学出てからかな?
自分のありかた、対人関係の歯車が完全におかしくなってるわ、と自覚し始めたたが何もできずにね。
ただ怒りのなかで生きていたからね。
 
ま、そういう、生きるうえでの居心地の悪さがもう我慢できない、という人には「自分を掘り起こす」という長くかなり険しくしかし真実に満ちた旅をお勧めする。
 
私は選民思想が嫌いですが、でもさ、この、「自分を掘り起こす」に乗り出すか乗り出さないかはもう如実に向う見ずな勇気があるかどうかにかかっていると思う。
 
と同時に、勇気とか言ってられず、もうほんとにあまりに人生辛くて「自分を掘り起こす」という方向に向かわざるを得ない、ということもある。
 
私は向う見ずな勇気とどうしようもなくて自分をどうにかするしかなかった、という、両方の理由でこれを始めたんじゃないかな。
 
いずれにせよ、ほんとの自分と出会う旅は、出ることになっている人は必ず出ることになっている。
 
きっとそういう人は自分でも判っている、たとえずっと目をそらしてきたり受け入れられなかったにしても、魂の答えは知ってるはずだ、もう観念して、旅に出よう。
 
内側への旅を。
 
 
(もう目がいてえので見直さずうpします)
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by 6ssorelativo | 2012-03-28 22:34 |

私の一番の目の保養

私の一番の目の保養
 
Tiziano Ferro/Le Cose Che non Dici

 
まあ結局イタリアは行かないことにしたのだが。
(今年はお金をいろいろ学ぶことに使うことにしたので。)
 
今でもちょう好きw
 
とここでこの記事を終ろうと思ったのだが、ついでに書くと、私はどうも容姿がよくてもつっこみどころの多い人が好きなんだよなw
薫さんなんてその典型ですよね。
 
しかし↑でのTizianoは珍しくつっこみどころがない。
 
寝る。
 
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by 6ssorelativo | 2012-03-27 00:41 | 音楽
何が何でも毎日書かなきゃいかんわけじゃないけどもさ。
 
今日はACRのセッションの練習をしました。
 
私個人は最近すこぶるいい感じですが、今日練習相手の人にセッションしてもらったら(一緒にクラス受けてるのです、偶然同じ名古屋の人)、とんでもないものが出てきたがw、これからそれともゆっくり向き合っていこうかなと。
 
詳細はちょっとこれは書きづらいことなんだが、早い話、
「あ、私自身が私を信用してなかったんだ!」
って発見です。
 
セッションでは、↑のこと以外では、やっぱり「理解してもらえない」ってのは私にとってはストレスらしく。
(ストレスでなくなればどってことはない。理解されない、というところに何か書き込みがあるのです。)
 
特に高校のとき、何かのたがが外れて、あと、新卒の、アツい国語の先生がいて、彼はけっこう高校生のイミフな話を(けっこう同じ目線で)聞いてくれる人だったから。
私のイミフな話につきあってくれて、でも、やっぱりあんまり「??」なことを言うと「そんなのはあるはずない」と言われたり、きっと当時の私はとても「しょぼん(´・ω・`)」としたのでしょう。
(前のブログでも書いたかも知れないけどそのとき私が呈した疑問はバートランド・ラッセルの本に出てくる命題のひとつだった。だから「どうだ!」ってことでなく、「しょんぼり損だったなあ(´・ω・`)」と思ってるのw)
 
私の言うこと全部判ってくれたわけじゃないが(つかそもそも他人同士でそんなのあるわけない)、でも、いい先生だったと思う。
新卒の、関西弁の、美形の先生でした。
でもアツすぎて美形というのはかすんでたな、キャラ的になw
 
今となるといい思い出ですな~。
 
かつては悲しかったり悔しかったりしたことも、今はもうとても遠いことで、現在の私の動揺にはもうつながらない。
 
 
過去の話と言えば、この春は(ノートの)Campusは尾崎豊をポップに使っているらしく。
http://www.kokuyo-st.co.jp/campus/ 
こないだ本屋の一隅の文具コーナーで↑のリンクで出てくるでかいポップ見て、何か、いろいろ思ってねえ。
 
ほとんどネットでは書いたことないけど、中3~高2(つまりBUCK-TICKが現れるまでw)の私ってのは、まあ、今のDIR EN GREYの位置に尾崎豊がいたんだよね。
 
今はまったく聴かないし、命日あたりの特番も観ないけれど、↑のポップ見て、直筆ノートの、何つか楚々とした字を見て、ああ、この人こういう人だったんだな、と。
 
どっちかっつうと、まあどうしても、男性で、若くて、エネルギーが有り余っているというのもあって、当時はそのエネルギーが狂気の方向に向った、という総括が私のなかのどっかでされていたけど、字を見たら、ああ、この人そういう人ではなかったんだな、と。
何か自分のなかで納得するものがあった。
(ただ、奥さんの話を読むと、狂気に限りなく接近していた部分もある。でもそれが彼の本性(ほんせい)ではない、と思った、ということ。)
 
まあそれはいいんだが、いわゆるまさに「多感な時期」に一緒にいてくれたのが尾崎豊の言葉だったので、やはりその意味で思い出すものがあって、でも、何だか、私は本屋の一隅で、
ここまで、いったいどうやって生きてきたんだろう
と。
 
絶望的な意味でなく、ただただ、生きてくるってすげえことだな、という。
そして、それは自分自身のことだけでなく、何かこのとき、私のなかではネットの音楽仲間の人たちのことが胸にあって、彼女ら彼らも、いったいここまでどうやってやってきたのだろう、考えてみると生き続けるというのは途方もないことだ、と思ってね。
 
 
でもね、みんな生きてきたしね。
当り前のこと、かも知れないけど、自分の生命を維持するって何だかんだですごいことじゃないかなあと思う。
 
たとえば自殺なんて(尾崎が自殺したという意味ではない)、不健全な魂のやることだ、ということになっているのかも知れないが、ほんとは、死ぬ、ってオプションってのは、案外どんな人の身近にもあって、それに気づくか気づかないか、それを凝視するかしないか、ということだけが道を分けるのかも知れないと思ったりもする。
 
(まあ、「どんな人の身近にも」とほんとに言えるかどうかはやっぱ難しいけどね。やっぱり尾崎にしろ私にしろ彼に共感してる人にしろこのブログを読んでくれてる人にしろ、「普通」の尺度からいったらほんとに不要なものも含めてあまりに多くのことが見えすぎて感じられすぎているのだと思う、これはもう私は決して否定しない、それがいいとか自慢してるってことでもなく、ただ、ほんとにそういう仕様なのだし、あまり多くを見ない感じないというのも立派な才能で、そのほうが成し遂げられることが多い場合も多々あると思う。)
 
 
今日はほんとつれづれに書いたな。
 
寝よう。
 
おまけ:(´・ω・`)ショボーン
 
Now playing: DIR EN GREY/Merciless Cult
 
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by 6ssorelativo | 2012-03-25 22:48 |

うだうだ

いや~今日は初めて親が(かなり勝手に)セッティングした見合いのようなものに行ってきましたが楽しかったです(世界の観察が)。
 
自画自賛だけど、こないだ作ったDIR EN GREYほぼアルファベット順再生リスト、"Dozing Green"~"Drain Away"ってむりむりな流れだと思ってたけど、これが案外いい!
これって同じバンドの音かよww ってのもあるが、何つか、振れ幅のでかさがいいんだよ。
 
 
そういや一時期、そうだな、二月なかばくらいまでこのブログも来訪者数はいい感じに伸びていたが、この一か月ほどぱっとしないだよ。
まあ、来訪者数はぱっとしないが、ページビューはまあ落ち込んではいない。
まあいずれにせよ淡々と続けていくぜ。
(でもカテゴリの整理とかはしたいなあ。)
前のブログが気に入っていた人は、私(のブログ)に何を求めてくれていたのかなあ、とふと考えて、きっと今は「優さん宗教にハマったw」って感じに思う人もいるのかも知れないけど、まあ、今のありかたのままでいよう、気が変るまで。
 
ってか、「宗教に~」ってより何より、「DIR EN GREYかよww」だよねw
しかも「そこまで命かけるのかよww」だよねw
自分でもびつくりなんですけど、でも、だから人生っておもろいのではないかなと思わなくもなく。
ふつーに、ひとつのバンドやその音楽に、しかもほぼ最近になって本格的に登場したものに、ここまで没入できる自分はいいなあと思うし、こないだの記事の続きみたいになるけど、「生きてる」って感じだなあ、魂かける相手が自分や人間でないのは空しい人生なのかどうか判らないけど、でも、自分としては、今自分の持っているDIR EN GREYへの気持ちもまた人生において宝石のようなものだなと思う。
 
ここに来て、こんなものが用意されていた。
 
それが私の人生。 
 
Now playing: DIR EN GREY/Drain Away
 
追記
今"Drain Away"が終って、わし再生リストだと次"The Final"なんだよwwwww
自分で言うが神展開wwww
感動しすぎて息絶える寸前系ww
 
てなわけでまたDIRさん聴きながら寝る準備するか。
んもう幸せすぎてどうしてくれよう。
 
おやすみなさい。
 
Now playing: DIR EN GREY/The Final
 
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by 6ssorelativo | 2012-03-24 23:15 | 雑記
前も書いたが、人間のマインド、思考は真実、真理とはたいがい逆のベクトルを持っている。
それはベースが恐れだからです。
 
現代社会の状態、あるいはそれを作り出した伝統的な仕組みは、真実、真理と対立していると考えてたいがい間違えはないと思います。
 
だからもし手っ取り早く真理や真実が知りたくば、現代社会の仕組みの逆を考えること。
 
ただし、そのとき得られる洞察は知的理解の範疇を超えないので、そこだけは留意が必要です。
(しかし、もし、現代社会のありかたをふっと俯瞰できて、そのときもしその愚かさに笑いが、それは乾いた笑いじゃなく、「人間てww」ってほんとに楽しいような気持ちを含んだ笑いが出るとすれば、それは知的理解の範疇を超えている可能性があります。)
 
今日は時間ないのでこのへんで。
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by 6ssorelativo | 2012-03-23 23:04 |
さて、今日はちょっと、昨日の記事について解説を試みようかな。

昨日の記事↓
私はこの音楽しか探していなかった
 
言っていることは嘘でも誇張でもなく、確かにゆうべ感じていたことです。
今も変ってねえな。
 
で、何を解説するかってえと、この記事がどういうことを示しているかと言うと、私はこうして生きてきた、ということです。
 
「好きなものに自己を、あるいは情熱のすべてを投入する」
というのが私の生きかたでした。
生きかたと言うとカッコイイが、もっと正確に言うと、これが、唯一、自分の生命を維持する方法でした。
 
 
ゆうべの記事でDIR EN GREYに傾けている気持ちは、本来は、健全な魂ならば何に向けるのか。
 
自分自身です。
 
私は、と言うか、現代、こういう人ほんとに多いと思うんだけど、「自分がどっかいっちゃった」んですね。
 
自分の感じかたを否定しているし、自分なりの感じかたを禁止しているし、自分のハートが何を言っているか聞く訓練じゃなく、むしろ聞かない訓練、無視する訓練、否定する訓練、無価値と断罪する訓練、をしてきました。
 
ので、「自分」が全然機能しておらず、私の場合は、ですが、その結果、自分への徹底的な無関心という状態に常にあるようになりました。
 
 
こないだ、キャシー天野さんのクラスで自分の本質のひとつである「繊細さ」というところを認めることができ、その後の変化はちらっと書きましたが、その後、どういうことを感じたりどういうことに気づいたかと言うと、
 
自分のやることには価値がないと思っている
他人に関心がない
つまり自分に関心がない
そもそも自分の生命を維持することにも興味がない
 
というあたりに気づいて。
 
「自分の生命を維持することに興味がない」
ってのは恐らくポイントで、そんな状態だったのに、どうやって生きてきたかと言うと、そう、外部にすべてを投入する対象を作ったのです。
 
 
このからくりはだいぶ前……それこそ高校か大学時代に見抜いてはいたのだが、今ここにきて、「あ、やっぱそうだったね」と。
 
私は外部に熱烈に好きになるものを作ることで自分の生命を維持してきたのです。
 
で、もちろん外に好きなものがあるのはそれはそれで全然いいのですが、自分を対象としようとするととたんすべての感情や関心や慈愛のベクトルがなくなって、今だにちょっと、よく判らないんだ、アツい気持ちってか、むしろ素朴な気持ちってか、何らかの、健全な肯定的な何かのベクトルを自分に向ける、というのが。
 
 
そんな状態に、全然何の感情の動きもなくたいへん冷静な心のまま在って、常に観察している、自分というシステムが、ちゃんとハートからくる閃きのようなものに先導されるシステムに戻るかどうか。
 
とりあえず、感性の基準や判断基準に関して、少しずつ「あ、これが私オリジナルな基準なんだな」ってのが現れるようになってきて、どきどきしています。
 
考えにおいても、ふっと、何か特定のことに関して「こうしたらいいんじゃない?」ってアイディアが浮んだりして。
それで、自分がいかにそのことに対してずっとひとつの対処法しかない信じて疑ってなかったかが客観的に判るようになってきて。
 
脳が、それまで見ないようにしていたところを見ることができるようになっている証拠ですね。
 
 
そんなわけで、昨日DIR EN GREYに向けていた、自分のある種の「核」みたいなもんのベクトルが、自分自身に向くようになるのか。
 
観察を続けます。

Now playing: DIR EN GREY/The Pledge
 
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by 6ssorelativo | 2012-03-22 22:44 |
ちょっと考えていたんだけど、何を選ぶも何も、私が歩いてきた道はただひとつだ。
それはDIR EN GREYに、もっと端的に言えばたとえばDozing Greenのあのギターリフに通じることになっていた道だ。

それ以外に私は何も選んでいなかった!!

「私の内なる真実」はDIR EN GREYの音楽だ。
たとえそれが他人が創ったものだろうが、この音楽は私の内なる真実だ。
これまでのすべての歩みは、ほかの好きなバンドでさえも、ここに至るのに必要だった「要素」にすぎない。と言えるほどに。
私はこの音楽しか探していなかった。

だから私はあの音楽からやってきてあの音楽に帰ると言う。
私は死んだらライヴのときとあるいは家でこの音楽を聴いているときと同じようにこの音楽と一体になる、この音楽になる。――私の「すべて」よ。
 
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by 6ssorelativo | 2012-03-22 00:33 |
この週末はどでかい「うおおお!!」があって、そのときはそれについて書こうと思うんだけど、タイミングを逸すると書きようがなくなって書かないことが多い。
 
今まであった「うおおお!!」の、どうやろ、最低7割は書いてないと思う。
だから外部に向けて書いてることは、理解のステップがいきなり飛んでいることが多く、つまり、私はやっぱり体系的に何かを書くというのが苦手である。

 
ちょっとあるなりゆきで、「科学的ってどういうことだ」ということを考えることになったのですが。
 
科学的って、早い話が知的理解で、かつ、判断の根拠を外部に求める、ということでもあるのだなと。
 
私は案外「科学的」信奉者です、いや、でした、でいいかな。
 
まあそらさ、医学とか、科学的根拠に拠らないと危険なものもあるので、それはもちろん重要なんだけどさ。
 
話戻るが、いやあ、科学的、とか、論理的、とか、大好きだったな。
 
それはね、科学的、とか、論理的、を信奉する理由は人によって理由は違うと思いますが、私の場合は、「自分で決めなくていい」「自分の感覚に頼らなくていい」からでした。
(つまりは自分の感覚を否定してきたので全然それに頼ることができないシステム(人間)になっていた。)
 
私は、ほんとはずえんずえん「自分」がない人です。
(先般の、「繊細さ」を受け容れる、というのに成功してからは明らかに変ってきているが。)
 
たとえば、目盛り、とかでさ。
たとえば、音楽聴いてて、ちょっと音量下げたいな、とか思うじゃない。
そうすっと、適当に下げて、自分の感覚でいいと思うところで止める、というのができなかったのね。
「5目盛り下げる」とか、数値、しかも、かっちりした数値でないと、だめだったんです。
先般の、「繊細さ」を受け容れる、に成功してからは、適当に音量を下げる、というのができるようになった。
 
傍から見てどういうふう(人)に見えていたか判らないけど、そのくらい、自分の感覚を見えないことにしていたので、たぶん、すべてのことに外部の基準を採用していたな。
 
で、こういうのって別に特別なことでなくて、たいがいの人は子供のころに「この自分じゃだめなんだ(´・ω・`)」ってのを学んでしまってます。
 
まあそう感じたとしても、そこでどういうふうにいくか、ってのは人それぞれで。
私は、
「この自分はどうやら完全にだめらしいのでもう絶対自分自身の感覚なんて信じないもん、聞えないことにするもん」
と、まったく死んだ人でした。
あの、言葉は激しいわりに、全然、淡々と思っているのですが。
 
そう、最近の特徴のひとつは、こういった激しい言葉を、何の感情の動きもなく言えるようになったことかな。
かと言って麻痺とも違い。
何か、「死んだ人だった」ってことを、物質みたいに抽出して、扱ってる感じ。
 
ああ、これって、「扱ってる」という比喩で思い出しましたが、釈迦が言っていたという、
「怪我をしていない手は毒を扱うことができる」
というのに通じるのかも知れないな。
(もちろん釈迦の言ったレベルではまったく到達してないし一生到達することはないと思うが。)
 
一時期、よくついったとかでいわゆる「地雷」を爆発させて数人のかたを傷つけてしまったこともあるのですが、それは私が「全面的に怪我をしている手」だったからで。
(今ももちろんいっぱい怪我はしてますよ、そしてそれはもれなく誰もがね。)
 
でも、最近になって淡々と発見して言えるようになったこと、たとえば
 
死んだ人だった
自分の生命を維持することに興味がない
自分が生きることを許可していない
自分のすることには価値がない
がんばったってどうせ手に入らない
 
というようなことは、これらのことに関しての「傷」が開いているころだったら「地雷」だっただろう。
 
でも、気づいたら、それらの「傷」はもう傷でなくなっていたんだよね。
 
ただ、「解決」してるかと言うと、違う。
「気づいた」んだけど取り乱さない、みたいな。
まあ、「気づく」、たとえば、「ああ、私ってまだ自分のすることには価値がない」って思ってるんだなあ」ということに気づくまでは、やっぱ、かなり悶々としますけどね。
 
でも、気づいても、それが傷だとは感じられないんだよね。
もう、何だろ、もし傷だったとしても、もうただの痕って感じなんだよね。
 
あとは、この傷があった後遺症として残ってるストレス(あるいは潜在意識に書き込まれているパターン)を取り除いて進めばいいな、って感じで。
 

相変らず自分が何するかってのは見えてないんですけど、ま、そのうち「ああ!」ってのが降ってくるか湧いてくるだろう。
 
それまでまたDIR EN GREYのオリジナルセットリストを考えてにやにやしまくろうw
 
Now playing: DIR EN GREY/我、闇とて…
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by 6ssorelativo | 2012-03-21 21:22 |
自己満足極まる記事で失礼します。
 
今日は一日中DIR EN GREYのほぼアルファベット順再生リストを作っていた。
「Vulgar」以降とここ数年のシングル数枚から約65曲をチョイス。
 
って、前から書こうと思ってたけど、「好きじゃない曲」ってのが今自分が音源を持っている約70曲のなかで2曲しかなく、あんまりどっちでもいいなあ、ってのが2曲しかない。
ほかはおおむねすべて好きな曲。
つまりほとんどすべて好きな曲ってすごくね? すごくね?
 
 
てなわけで、下記再生リスト、ほぼアルファベット順なんだけど、「ありえんだろww」って流れになっているところは何度も聴いて順番入れ替えて、それで気づいたら夕方だよね。
 
しかし幸せな一日だった。
 
前半で出てくる、

Dozing Green
Drain Away
The Final
 
って流れのところ以外はほんとめっちゃ曲順を吟味したw
この3曲の流れは流れとしてはちょっとへんだなと思うのだが、個人的に
「アルファベット順のままでちょう好きな曲続きwwww」
とうかれるところなので雰囲気とか流れとかは二の次です。
 
あと、"Merciless Cult"と"C"、そして"The Blossoming Beelzebub"と"Different Sense"は構成上どうしても続けないとへんなので必ずセット。
 
というわけで自己満足リスト。

Agitated Screams of Maggots
Amon

Amber
明日無き幸福、呼笑亡き明日
Beautiful Dirt
Audience Killer Loop
The Blossoming Beelzebub
Different Sense
Bugaboo
Conceived Sorrow
Child Prey
Dead Tree
Decayed Crow
Dialobos
Disabled Complex
The Deeper Vileness
慟哭と去りぬ
Dozing Green
Drain Away
The Final
The Fatal Believer
Garbage
凱歌、沈黙が眠る頃
Glass Skin
Grief
悲劇は目蓋を下ろした優しき鬱
激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇
Inconvenient Ideal
Increase Blue
Jesus Christ R'n R
愛しさは腐敗につき
Я to the Core
かすみ
獣慾
孤独に死す、故に孤独。
Lie Buried With a Vengence
Lotus
Marmalade Chainsaw
Machiavelism
Merciless Cult
C
艶めかしき安息、躊躇いに微笑み
New Age Culture
Obscure(再構築バージョン)
The Pledge
Repetition of Hatred
Rotting Root
Red... [em]
Spilled Milk
Red Soil
Sa Bir
流転の塔
我、闇とて…
凌辱の雨
冷血なりせば
砂上の唄
滴る朦朧
Vanitas
「欲巣にDREAMBOX」あるいは成熟の理念と冷たい雨
蝕紅(Shot in One Take)
朔-saku-

Vinushka
 
どこに入れたらいいか扱いが難しかったのは、
 
獣慾
滴る朦朧
朔-saku-
Spilled Milk
 
あたり。
あと、"Vanitas"が、次にくる曲を選びまくって、たいへんだったわ。
で、ほかの部分もそうなんだけど、そういうときとりあえず便利なのは、同じアルバムの曲を次にしてみることw
"Vanitas"も結局"欲巣~"で何とか
「どの曲も次にくるとへんだしwwwwww」
を解決。
 
まああとは"Vinushka"のあとはほんとは"我闇"なんだが、"Vinushka"のあとの"我闇"って、思いのほかしんどいのよ、聴いててw
ってことでまあ"Vinushka"でしめるのが一番ですよね、ということで。
そのあおりをくって"我闇"がかなり前にほうにあるw
これも苦労したわ。
 
つまりさ、後ろのほう、そうだな、苦肉の策で"Spilled Milk"がアルファベット順と言うにはかなり早いところにこっそりあるんだけど、そっから、もう一番悩んだな。
 
 
まあともかく幸せすぎる一日でした。
 
あと、さっきのさっきまで"Increase Blue"を"Incredible Blue"と読んでいたYO!
そして日本語の長い題名はおおむね覚えてないYO!
京くんごめんNE!
 
追記
そういや"Я to the Core"は"Ja(やー) to the core"と勝手に読んでる。
ロシア語の"I"のことだよね?
"Myself to the core"って意味だと勝手に思っている。
 
Now playing: DIR EN GREY/かすみ
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by 6ssorelativo | 2012-03-20 22:41 | 音楽

日々、潜在意識に操られるのもしんどいですよね。操られないポイントは、潜在意識と対立しないこと。そして潜在意識に負担をかけないこと。そのへんのお話から、前に進むヒントをお伝えします。(Access Code Reading(略称ACR)はキャシー天野さん開発のセラピー法です)


by 6ssorelativo