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不安、焦りなど、何もなく、ぱっと浮んで、うむ、と感じるものが、直感ですね。

人と一緒にいるときなどは、ただ相手と共にいて、相手やその言動を何も判断せず、しかし広い視野でしかし集中しながら相手を見ていると、直感が来ることがあります。
ほんとはこう言いたいのかな、みたいに。
あるいはふたりのあいだにさらに素晴らしいことが起るようなアイディアが浮んだり。

判断しない、というのは何事にも大事です。
判断は、視野を限定することなので。
ほお~、ふう~ん、とゆらぎながらラクにいるときは、直感がわきやすい、もしくは降ってきやすいです。

ついつい判断してしまう、というときは、判断しちゃだめ、と自分を叱責せず、あ、判断しちゃう自分がいるんだ、なるほど、それはそれでよくて、でも、どうやら判断しないほうが視野が広がって自分自身もラクらしいよ、というような感じでご自分と一緒にいる、というのを推奨します。

日本の人はほんとによく自分を責める。
悲しいことなので、気づいた人から、自分をネガティヴに判断して責める、叱る、のは、徐々にやめていきましょうね。



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by 6ssorelativo | 2015-03-26 18:13 | ACR(アクセス・コード・リーディング)

身体感覚を、とても大切にしてください。

以前、とある道の駅にソーダ味のソフトクリームのポスターが貼ってあって、すごく好きな色だしソーダ味だし、と、買おう、と思ったとたんに体が後ろに引っ張られる、ということがありw、あ、体は食べたくないんだな、とわかって、食べるのをやめました。
(でも一度は食べたい。ラベンダー味とかも食べたことないので気になる。はちみつ味というのもあったら食べたい。結局何でも食べたい。)

誰が言っていたか忘れましたが(キャシーさんかエックハルト・トールあたり)、体というのは完全な知性なのだけども、言葉が使えないのが難点である、という件なんですが、普段から体がどう動くか、どう力がかかるか、なぜか後ずさるとか、足がどっちに向きたがるとか、そういったことを意識していると、体はさらに雄弁に語ってくれるようになります。

私は、仕事していたころ、メモとるときに、どの筆記具が使いたいか、ひとまず手に持って決める、というのから始めました。
すっきりした気持ちになる、のが、使いたいもので、そうでない筆記具は、持つと、もやもやするような気持ちになりました。

思えば、心のことって、訓練によるところがけっこうあるのかなあと思いました。

ACRはセッションのなかで訓練をするので(クライアントさんの知らないうちに)、その意味でもよい方法だと思います。

セッションでは、主に、年齢を下がって感情の書き換え、もしくは、ボディワーク(タッピングや眼球運動とかですね)をやるんですが、実は意外にも、ボディワークのほうが可能性がより大きいと思います。

クライアントさんとしては「何やってるんだろう」という感じかも知れませんけれどもw、体と一緒に訓練すると、定着率とか、変化の度合いや可能性が違う。
と最近より感じています。

Now playing "Crucible" by HALFORD


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by 6ssorelativo | 2015-03-25 10:06 | ACR(アクセス・コード・リーディング)

関東遠征について、変更をしましたので告知します。

4/3(金)午後三時くらいから夜まで
↑4/3はなし(どうしても、という場合はご相談ください。3/26(木)中にお申し出あれば対応します。)
↑金曜、行くことにしました。二時から五時くらいの時間帯ならお取りいただけます。
4/4(土)終日
↑4/4は午後四時からの受け付けとします。まあ金曜に行くことになればまた土曜は終日に変りますがw ひとまず。
(午後一の枠は埋まりました。)
↑午前、及び夕方前~夜は受け付けています。
4/6(月)
↑月曜は受付終了

(4/5(日)は終日ACR修了者用クラス受講のため、セッションできません。)

場所は土曜は神奈川の東京寄りのホテルで、月曜はカラオケボックスになります。
(詳細は当方にご連絡いただいたあとにお知らせします。)

土曜に、もしご都合上、実施場所の変更をする場合、場所はカラオケボックスになります。
その場合、ボックス代を1000円までご負担いただくことを考えています。
ご了承くださいませ。

セッションの詳細および料金については、下記を参照ください。


セッション所要時間は1時間~2時間。
話すことに時間を割きたいかたは、もうちょっとかかるときもあり。
料金は、
先着3名、3000円。
次の3名、5000円。
次の3名、7000円。
それ以降のかたは通常料金の9000円。
(通常料金は今後改定する可能性あり。)

筋肉の反射を使って、潜在意識にあるストレスを読み取っていきます。
ストレスや問題への働きかけは、年齢遡行して、ボディワーク、(場面の)書き換え、などで行います。


というわけで、ご興味あるかた(今回は女性のみの募集となりますが)、ご連絡くださいませ。

アドレス
kreutzer_aあっとnifty.com


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by 6ssorelativo | 2015-03-24 18:17 | ACR(アクセス・コード・リーディング)

本日セカンドエントリどす。

こちらでもお伝えしている方法ですが、特に、セッションにおいて、年齢を下がったときに(この年齢を下がる、というのは、退行催眠みたいなものでなく、潜在意識のその年齢の記憶にアクセスする、みたいな感じです)、
「この状況で、何を変えたら安心しますか? 変えたいところはありますか? 何かしたいことはありますか?」
という質問をします。

このとき、
「○○を△△に変えたい」
とか
「○○したい」
という答えは、クライアントさんに完全にお任せしています。

セッションを受けた回数が少ない場合は、こちらからいろいろ案を投げますが、通常は、クライアントさんが完全に自由にアイディアを出す、というのを目標としています。

このときのアイディアというのは、もう完全に何でもありですw
たとえばお母さんとの関係が出てきたとき、
「お母さんを猫に変えちゃう」
とか
「お母さんを○○さん(自分が安心感を覚える誰か)に変える」
とかいうのもありです。

こういう、「実のお母さんを変えちゃう」というのに抵抗を持つかたはけっこうおられますが、お母さんを違う人にしても、お母さんを侮辱したりしているわけではなく。

この、
「どうすると安心しますか」「どうしたいですか」「何を変えたいですか」
という質問は、何のためにしているかと言うと、ご自分の力を取り戻すためなんです。

過去としては、そのとき、たとえば何も言えなかった、としても、「どうしてたら安心したんだろう」などの想像のなかでは、「本当にしたかったこと」をしてみましょう。

過去としては、そのとき、ご自分の本来の力は出せなかった、あるいは、ご自分らしいエネルギーの流れを作れなかった、ので、そのときの無力感みたいなものと相俟って、こういった過去がいやなふうに残っていることがあります。

けども、想像のなかで、
「ほんとは自分はこうしたかったんだ、こうしたら安心したんだ」
ということをしてみると、想像のなかで、自分本来の力が取り戻せるんですね。

また、この、自分本来の力を取り戻す想像、というのは、実際の生活へ向けての訓練でもあります。

さきほどコメントにも書いたのですが、人って、出来事や行動が先、と思っているのですが、ほんとは常に気持ちが先なんです。

何かの場面で、自分本来のやりかたができなかった、として、なぜそうなるかと言うと、先に無力感とか無気力とか緊張とか、何か、あるんですね。
そういう気持ちや状態があって、次の出来事(うまく言葉が返せなかったなど)が起きて、というのが、本来の順番になっています。

だから、安心とか、大丈夫な感じとか、心地いいとか、そういう気持ちを(ACRでは)取り戻したいんです。

先にそういった気持ちがあったら、それに見合った現実が創り出せますから。

昔阿部敏郎さんが書いてたけど、
「何かいいことがあったら幸せになれると思ってるかも知れないけど、ほんとは、幸せな気持ちになったら、いいことが起きるんだよ」
とね。

同じことであります。

それはともかく、ともかく「いい心持ち」を創るのが主眼になるので、たとえば
「お母さんを別の人にする」
みたいな、常識からすると不謹慎そうなことも、全然想像してOKです、そうしたら安心なんだ、と思える限り。

人間はどうしても今までの潜在意識や頭の書き込みに引っ張られますので、一般的にネガティヴと考えられていることを、セッション内などでの想像のなかでもやってはいけない、と思いがちです。
ってか、通常は思って当り前であります。

けど、本当の答えって、そういった制約を越えたところにあります。
人間の思考の可能性は本当は無限なのに、思考自身が自分を狭めようとする。
それは、自分の力を制限しようと汲々とする人間の姿そのものです。

思考の制限、というのは、イメージとしては、脳のどっかの部分が参照できなくなっているような感じです。
あるいは、身体的に実際に、たとえば顔を動かさずに目だけで右を見るとか、左を見るとか、しようとすると、左は見るのがすごく怖い、とか、なることもあります。
物理的に、そっち側が見られなくなっているんですね。

そこを、見られるようにするか、あるいは、今は見られなくてもよくて、たとえばずうううっと右見てたら疲れてきて自然に左向くとかw、そんなことも、起きてきます。

ってな感じで、どの選択肢をとっても可能性って無限なんですが、人間は歴史的に制約大好き人類、でしたので。

ってか制約されてたほうが安心するよね、今までの歴史や教育に則るとね、うんうん。

なので、「これはだめかも」ってことも、想像ではやっちゃってください。
(あくまで想像で。)

長くなりすぎて読みにくいのでこのへんで。


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by 6ssorelativo | 2015-03-22 14:45 | ACR(アクセス・コード・リーディング)
思い込みが発生するとき、エネルギー的には何が起きているのか、見てみましょう。

基本的には常に、「本来の自分」らしい対応ができていないときは、エネルギーが「本来の自分」らしく流れておらず、滞るなり、速く流れすぎるなり、何か、自然でない流れが起きています。

そのときの不快さの理由づけに、そのとき起っている状況、たとえば、お母さんが怒鳴っているとか、お父さんが仏頂面しているとか、そういった、エネルギーの流れの乱れ・滞りとは関係ないものを、その理由として頭のなかで関連づけてしまいます。

これで、たとえば女性が大きな声で話すと怖い、とか、男性は無表情で不快とか、その人独特の思い込みが形成されます。

先日も書きましたが、本来は、ほんとに小さなことなんです、ほんと、たとえば、体がちょっと右に傾きすぎていて、そのとき、その体勢は「本来の自分」に反していて、エネルギーが乱れるか滞ってしまった、それだけのことを、頭はそのとき起っている外部の状況と関連付けて脳に格納します。

エネルギー視点で考えるとよい理由のひとつは、言葉に引っ張られない、ということです。

セッションでも、実は重視しているのは、と言うか、入っていきやすいのは、「こんなこんなですごく悩んでて」ってことよりも、そういう悩みが脳内に浮上したとき、その人の体に何が起きているか、です。
たとえば、呼吸が浅くなってるとか、あるいは、イメージで、「この悩みは色でたとえると赤」とか、脳内の強い思い込み(言葉、つまり、上記で説明したような、本来は関係ないことを関連付けた、思い込み)に、引っ張られにくいことで扱っていくと問題の改善はしやすいです。

体の感覚、イメージをフェルトセンスと言いますが、フェルトセンスは練習してかないとなかなか浮ばないこともあるので、それが難しい場合は、エネルギーで想像してみてください。

このことを考えると、辛いんだけど、そのとき、エネルギーはどんな感じで動いているかな?
そしてそのエネルギーは、どういうふうに流してみると、心地よくなれるだろうか?
想像して、その流れに身を任せてみる、とか。
まあこれも練習が必要かも知れません。

思うに、フェルトセンスにしろエネルギー視点にしろ、「悩み」の只中にいるときは、なかなか自分のなかの物語、つまり思い込みの連鎖のなかから出たいとは思いません。

ので、フェルトセンスにしろエネルギー視点にしろ、そんなことどうでもいい、この悩みを、たとえば、彼は私のことどう思ってるのか、教えてくれ、みたいなふうに、なりますよね、悩んでるとね。

もし、あまりに自分の物語から抜けられないときは、ほんと、ちょっとしたことでいいんです、たとえばお茶を淹れてみるとか、深呼吸するとか、それだけで、ふっと視点が動きます。
前も書いたけど、そういうことをすることで、「脳内の物語」から、「いまここ」に戻ってこられます。

悩みは、「いまここ」に戻らないと、解決しないっす。
悩みは、空論なので、空論を空(いまここでないところ)で扱っても、解決しません。
「物語」のなかで、また新たな物語(空論)が創られていくだけです。

まあストーリーテラー的才能のあるかたは、物語の創造がうまく、それで自分をしばる、ということも出てきてしまうかも知れない。

才能が、うまく使えるようになるように(自分を苦しめるものにならないように)、心のなかを整理していきましょう(自分の「物語」を解体していきましょう)。

まとめると、
・悩んでるときは、体の感覚、イメージ、エネルギー、などに視点を移す
・そうしたくないときは、お茶を飲んでみるなど、「いまここ」に戻ってこられることをしてみる
・そうすると視座が動くことがあり、さっと、何か見えてきたりする

というような感じです。
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by 6ssorelativo | 2015-03-17 18:19 | ACR(アクセス・コード・リーディング)

各個人の世界は、その人その人の潜在意識で出来上がっています。

つまり、潜在意識とは、解釈の体系、とも言えます。
潜在意識とは何か、については幾多の説明があるかと思いますが、今は解釈の体系、という面についてお話します。

解釈は、判断、と言っても同じことです。
人は、何かを見聞きすると、必ず「判断」をし、「解釈」をくっつけます。

それぞれの人のなかに、アーカイヴが出来てて、他者が、こういう顔したら怒っている、こういう顔は不信の顔、これは本心の笑顔、今は目が笑ってない、などなど、ひとの表情についても目にすると判断し、解釈します。
(他者の表情には女性のほうが敏感。男性はあまり気にしていない、と言うより、わからないことが多い。自分のほうが社会で権威者(ということになっている)なので、相手の顔色をうかがう必要が少ない。って情報必要かな、知ってたので書いてみた。)

何かを見聞きしたときの解釈は、ひとの数だけあります。
ひとと話をしていてすれ違うときがあるのは、互いにオリジナルな解釈の体系のなかに生きているので、いちおう同じ言語を話していても、実は通じていない、ということは多々ある。

解釈はその人その人で違い、幻想とも言える。
その人には事実としか思えないが、本当は潜在意識が見せている幻想である。

なぜなら、同じものを見聞きしても、ひとによって解釈が違うので、本当に客観的にみた「事実」と言うのは、たとえば、
「デートの最中に相手が時計をちらっと見た」
ということだったりする。

ここに、各個人がオリジナルな解釈をくっつけて、ある人は
「つまらないから帰りたいんだ」
としょんぼりし、ある人は
「ほんとは用事があるんじゃないだろうか」
と心配し、ある人は、相手が時計を見たことにさえ気づかない。

まあ、その人にとってはどうしても事実としか思えないので、「事実だね」と言うのがあるときは必要かも知れない、自分の解釈に深く閉じ込められている人は、孤立感を感じていることもあるので。

けど、ほんとの事実ってのは、
「デートの最中に相手が時計をちらっと見た」
というだけなんです。
相手がどういうつもりだったのかは、訊かないとわかりません。
ここで潜在意識に(感情の動きを伴う解釈の)書き込みがない場合は、すんなり訊けます。
「あ、時間よかった?」

けど、ここで強く感情が動いて(と言うか過去の感情が再現されて)不安に入ると、たいがい人は突っ走ります、不安に動かされたときに行う、その人オリジナルな言動が始まる。
いきなり
「つまらない?」
と訊いたり、そして相手がもしほんとただ時計を見ただけ、だとすると、いきなり「つまらない?」と訊かれても意味がわかりません。
何でこの人いきなり不安そうなんだろう、とか思うかも知れない。
気が回る人だと、自分が時計を見たことにその質問が起因していることに気づき、時計を見た理由を言ってくれることもあるかも知れない。

動揺して、「つまらない?」
と訊いてしまう人は、元から何らかのことが潜在意識に書き込まれています、
「たとえ恋人でも自分と一緒にいたらつまらないはずだ」
「自分はあまり恋人に大切にされないはずだ」
とかね。

ところでセッションでは、
「たとえ恋人でも自分と一緒にいたらつまらないはずだ」
という大きいところはあまり扱わないこともあります。
これだと命題がでかすぎるので、クライアントさんが、この命題に引っ張られすぎることがあるからです。

なので、「相手が時計を見たら不安が起動した」
ってほうを扱ったりします、年齢を下がったりして深堀するとわかりますが、
「たとえ恋人でも自分と一緒にいたらつまらないはずだ」

「相手が時計を見たら不安が起動した」
は同じことなんですね(あくまでもこの人の場合は、です。ここが、潜在意識がオリジナルだというところです。ほかの人からみると、ちょっと、「?」となることもある。)

セッションすると、最初に持ってった相談と全然違うことやってる、ってことが、だいたい、それこそ90%くらいじゃない?

最初は私もね、狐につままれたと言うか、全然関係なくね? と思ったりしたけど、出てきたことが、自分のなかの深いトラウマだったりすると、まあ、納得したりする。

けれど、トラウマも出てこないことも多々あり、ほんと、本来の「不安」って、小さなことなんです、自分が目を合わせてほしかったときにお母さんがこっち見てくれなかった、とか、ほんとに、小さなことなの。

けど、そのとき、
「お母さん」
と声をかけられなかったとすると、いつまでも残るんです、
「あ、お母さん見てくれなかった」
という淋しさがね。
それが、大人になるにつれて、大きくなります。(感情の再現)
で、大人になって、心の整理を始めるんだな~。

話戻すけど、セッションでは、小さいことからセッションに入っていくことも多いのですが、探っていくと、どんぴしゃな言葉が出てきたりします。
さっきからの例でいけば、
「相手は自分を尊重してくれない」
とか、これはその人その人で全然違うんですけど、潜在意識は、準備ができていると、そういった、どんぴしゃな言葉を出してくれることがあります。
出してくれないときは、潜在意識がこのことについて扱う準備ができておらず、周辺の、近いけど違う、みたいな言葉ばかり出してきます。
まさに隔靴掻痒って感じ?

まあ、焦らないのは重要です。
何度も書いているけど、どういうありかたでも、ほんとは問題がないんです、その状態で、できることをしていくだけなんです。

けどまあ、そのためには、何度か「勇気」を出すことが必要になってくることもあります。

いつも以上に話がとっちらかったな。

まあともかく、潜在意識は解釈(思い込み)の体系で、各個人でまったく異なる(各個人がまったく色の違うメガネをかけているのと同じこと)。
ということと、
各個人で違う、ということは、ほんとの「事実」というのは、誰の解釈も入っていない、たとえば「デート中に恋人が寝ていた」という、ただ起った事実だけが、ほんとの事実である。
ということですね。

色つけてんのは、各個人なんですよ。
ほんとは「事実」は無色透明、あるいは「無味」です。
味つけてんのは各個人なんだな~。

以上っす。

Now playing "Believe" by DISTURBED


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by 6ssorelativo | 2015-03-16 11:55 | ACR(アクセス・コード・リーディング)

抵抗ってほかの言いかたをすれば、
「この状態であってはいけない」
という思い込みや焦りです。

呪縛の強いかた(私がそうでした)は、どんなありかたであっても自分が許せず、なのでこういうかたが対峙すべきは、
「この状態であってはいけない」
という抵抗より、
「自分はどういうありかたであってもいけない」
とか、
「自分はどういうありかたであっても受け容れられない」
みたいなほうになります。

通常、「受け容れてもらえない」
という悲しみ(表面では怒りだったりする)には、
「誰々に受け容れてもらえない」
と、具体的に「誰々に」がついていて、私の場合は
「母親に受け容れてもらえない」
でした。

これは母親がどうのと言うより、私のほうが、それほどに、お母さんが大好きだったってことなのねw

いろいろ絡んでいるものを取り去って行くと、後半はこんな感じで、わだかまってる相手に対して本来自分が持っている愛情や大切にしたい気持ちが表まで出てきてくれることがあります。

加藤諦三さんが言っていて、ほんとそうだな、と思ったのが、
「人間は、一番重要な相手に対して一番怒っている、ということがある」
というので、私は母親への怒りが強かったのですが、それだけ私にとって重要な人だったということですね。

抵抗よりやっかいなものに、罪悪感があります。
「自分はどういうありかたであっても受け容れられない」
は、抵抗と言うより罪悪感のほうが正しいかも知れません。
私の場合は、
「どういうありかたであっても罰せられる」
という思い込みが強く、何か起ると、「あ、罰かな」と思ったりする癖がある。

罪悪感は、キャシー(天野)さんいわく、時間をかけて癒していけばいいからね、とのことでした。

ともかく、誰ものなかに、何か訴えている子供がいます。
(いわゆるインナーチャイルド)
その子が何を訴えているかに耳を傾けて、癒していくことが、心の整理になります。

(たまに、インナーチャイルドと対話を始めようとすると、「今までほっておいて今さら何だ」と対話してくれないときがありますから(私がそうだった)、そういうときは、むりに対話しないでもよいと思います。
ただこちらの気持ちを吐露して、インナーチャイルドのほうは応えてはくれない、という状況を受け止める、という段階になるかと思います。
「聞きたくない!」まで言われたら、まあ、そのときはそっとしておいたほうがいいです。)

Now playing "Very Beast of DIO" by DIO


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by 6ssorelativo | 2015-03-14 20:25 | ACR(アクセス・コード・リーディング)

ちまちまやってる

今日、男子サッカー日本代表の新しい監督の会見があったけど、ボスニア語ってどんなんだろうとワクテカしてたら、フランス語だった。
どうでもいいんですが。

しかしあれだけ"r"を、きっとスラヴ語に特徴的なはっきりした"r"の音韻で発音すると、フランス語もスペイン語くらいに聞えるな。

なんちゃってでフランス語とかやってんですけど、やってるってか、個人的には単語集を作るのは役に立つほうなので、そういうのをちまちま最近作り始めたり、ってか、最近気づいたんだけど、語彙力さえ上げれば、フランス語、スウェーデン語、ドイツ語あたりはちょっとだけいけるんちゃうかと思って、単語集、ということにあいなったわけだけどね。
まあそのうち自分のなかのトレンドは去ってやらなくなるであろう。

けど、また半年だ一年経って、また○○語概観するか、となって、人によって、こういうやりかたは全然身にならない、という意見もたまに聞くが、わし個人としては、いわゆる「漆塗り学習法」のロングタイムスパン版で、わるくないやりかただと思っている。

何より、「勉強する!!!」みたいな気負いを持たずにいかに言語外観をするか、という方法を開発したい、とも思っているので、自分で実験してるんですな。

でわでわ。


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by 6ssorelativo | 2015-03-13 18:21 | 言語

昨日は二重の抵抗について書きましたが、もちろん抵抗はひとつでも、苦しさを生みます。

昨日の例でいくと、自分の欠点はおしゃべりがすぎること、だとする。

で昨日は、
おしゃべりな自分に抵抗する自分

おしゃべりな自分に抵抗する自分に抵抗する自分
という二重の抵抗について書いたわけですが、
抵抗が最初のひとつだけなら、すんなりおしゃべりを抑えられるでしょ、てなことを書いている、

けれども、これは、
「おしゃべりな自分に抵抗する自分に抵抗する自分」
がないときの話であり、ここで抵抗がないために、
「おしゃべりを抑える」
は、抵抗なく実行できる、ということで書いている。

しかしこれ実際は、抵抗が最初のひとつだけであっても、苦しいときは苦しいです。

逆に言うと、苦しみになる、ということは、何らかの形で抵抗が起きています。

「すんなりおしゃべりを抑えられる」
んだとしたら、ここには実は苦しみを生むような抵抗は起きていません。
(昨日と逆のことを言ってすまそ。)

昨日は、ふたつめの抵抗が存在することを実証?したくて、抵抗がひとつで、その抵抗に抵抗する力が存在しなければ、その、ひとつだけの抵抗はすんなり実現するでしょ、という、まあ、机上の空論的なことを書いたわけです。

話を本筋に戻すと、抵抗は、流れに逆らってる状態なんです。
たとえば、おしゃべりの例をまたとると、おしゃべりなのがその人の本質だった場合、頭が親に教えられたことなどを再現して
「しゃべりすぎるのはみっともない」
と行動をコントロールしようとすると、この人の本質はおしゃべりなので、けっこう苦しいです。

この人の「自然な流れ、ありかた」は、話をいっぱいする、なのに、それを頭のしばり(抵抗)で堰き止めるので、苦しい。

頭のしばり、というのはとってもきついし、最初の段階は、そのしばりがあることすら認識できませんから、何だか全然わからないんだけど人と話してると苦しい、という状態が続きます。

その人の本質がおしゃべりでない場合も、たとえばお母さんがおしゃべりで、で、お父さんがそれに、一度、「うるさい」と怒鳴ったとする。
と、それを見ていた子供(特にこの場合女の子)は、このときお母さんがとった行動や態度や感情を、コピーします。

だから、自分自身は別におしゃべりでもないのに、なぜかいつも、男性が怒鳴らないかびくびくしたりとか。
何らかの「癖」が発生します。

これが、人を苦しめるわけですが。

この人は、自分はおしゃべりじゃないのに、「おしゃべりだと怒鳴られる」という勘違いが、しかし潜在意識に刻み込まれてしまって、もう、体レベルで、びくびくしてしまうようになる。
(これは、お父さんが悪い、と言っているわけではありません、人が、考えかた、感じかたの癖を身につけるメカニズムを説明しています。)

つまりは、人と話す、ということに関して、この人は、
「しゃべりすぎると特に男性は怒るかも知れない、それがとても怖いから、話さないようにする」
という頭からのしばりを自分で設けてしまっていて(しかし設けた自分を責めてもいけません)、なあんだか、人と話してても、ずっと頭のしばりがあるので、苦しくて、でも本来おしゃべりでもないのにさらに話すのを抑えたら、ぜんぜんしゃべらない人、になって、周囲が、ちょっと違和感を感じる、など。
(周囲が違和感を感じるのは、この人が無口だからでなく、無口のベースにこの人独特の考えかたの癖(しゃべりすぎたらいけない)があるのを無意識で感じとっていて、何か、この人、閉じてるな、不自然だな、というところから、違和感を感じます。)

すっごい長くなってきたなw

ともかくさ、抵抗、つまり、頭のしばり、が起きると、自然な自分でいられなくなる。
自分で、何か違う、とわかってるので苦しい、でも、幼少期に見てきたものしか脳には情報がないので、それしか参照できない、おしゃべりになりすぎたらお父さんは怒るよね、それは怖いよ、というのしか参照できない、という状態になっているわけですね。

こういうのは、けえっこう苦しいはずです。
苦しいときは、あ、今、私は自分自身ではないんだな、何か、頭のしばりからくる抵抗をやってしまっているな、ということを認識してみてください。
それでちょっとでもラクにならないとしたら、また別のポイントを探すことになります。

ともかく自分の「状態」を知ることが、重要です。


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by 6ssorelativo | 2015-03-12 18:24 | ACR(アクセス・コード・リーディング)
抵抗、が苦しみを起します。

しかも、これは自分では気づけないのですが、人は二重に抵抗をしている場合がけっこうあります。

たとえば、自分の欠点はおしゃべりすぎること、と思ってるとします。
ただ思ってるだけで、
「あ、またいっぱいしゃべっちゃった、まあいいか」
と思える場合は問題ないんですが、
「絶対にしゃべりすぎないようにしよう。しゃべりすぎると絶対男性が遠のく」
とか深刻さがある場合、これは当人が辛いので、問題になってきます。

こういうとき、潜在意識で何やってるかと言うと、
「おしゃべりな自分」
を批判的にみて抵抗している、
のと、
「おしゃべりな自分を批判的にみている自分」
に抵抗している、
という、二重の抵抗をしています。

すごおおくへんな話だし、理解は難しいかも知れませんが、ちょっと理屈を書くと、だって、抵抗がひとつの場合は、
「おしゃべりな自分がいるが、しゃべりすぎないようにする」
が自然にできているはずです。
だって、本質にしろあとづけの性格にしろ、おしゃべりな自分がいて、でも、しゃべりすぎないようにしよう、と思って、その、
「しゃべりすぎないようにしよう」
に納得してるなら、
「しゃべりすぎないようにする」
ということが自然にできます。

けれど、
「しゃべりすぎないようにしなきゃいけない」
という自分にも抵抗して、二重の抵抗をしている場合、しゃべりすぎないようにしてみるんだけど、苦しいし、不自然になるし、で、相手が何か変な顔した気がして、あ、また私しゃべりすぎた、と、すごおおく不安になります。

不安が強いとき、苦しみが強いとき、深刻さが深い場合は、この、二重の抵抗を疑ってみるのもテです。

つまり、頭で、
「しゃべりすぎちゃいけない」
と思ってるとしたら、こう唱えるんです、
「しゃべりすぎちゃいけないと考える自分に抵抗している自分を心から愛します」

たいへん矛盾してる話と言うか、たぶん全然理解できないことも多いかと思いますが、理解できないからこそ、こういうアファメーションは魔法になり得るんですね~。

これ読んでよけいこんがらがった人は、この記事はいったん忘れてください。

ただ、
「どういうありかたでもいいんだな~」
という、ゆったりとした気持ちを想像してみてください。
悩みの深いかたは、ゆったりとした気持ちをきちんと感じた経験が少ないため、想像だけでとりあえずはいいです。

ともかく、ご自分に声をかけてあげてくださいね、
「いつもがんばってくれてありがとう~、今日はゆっくりしよ」
って感じでね。
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by 6ssorelativo | 2015-03-11 19:41 | ACR(アクセス・コード・リーディング)

日々、潜在意識に操られるのもしんどいですよね。操られないポイントは、潜在意識と対立しないこと。そして潜在意識に負担をかけないこと。そのへんのお話から、前に進むヒントをお伝えします。(Access Code Reading(略称ACR)はキャシー天野さん開発のセラピー法です)


by 6ssorelativo