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たたかっている人へ

戦いは自分で手放すしかありません。

怒りや恨みも同じなのですが、何らかの段階が来るまで、それらを握り続けるのは人間の仕様のように思います。

そして同時に、あなたの戦いには、誰も口を挟めない。
純粋に、あなたのものなのです。

だから、心が納得するまで、戦いましょう。
納得したら、自然に握っていた手が開きますから。

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by 6ssorelativo | 2015-05-22 13:32 | 前へ進むということ | Comments(0)
昨日ふっと、ひとの支援をしたいな~と思いました。

特に困っている人、とかでもなく、ただ、どんな人も、支援する。
ACRってもともとそういうものだと思うし。

ACRはもやもやをすっきりさせるのにも使えるけども、動きにくいところを動けるようにしたり、夢の実現とか、そっちにも有用だと思います。

今まで、けっこう夢は叶えてきたので、こんどは人を支援する番かな、という気がします。
その人の死角になっているところを見えるようにする、自分の本当の能力をおさえこんでいるものを外す、力みを取るサポートをする、そういった、いや、どんなんでもいいんですけど、支援ですね。
応援でもいいんですが。

何かこれからはそっちの方向かな~とふと思った、昨日でした。


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by 6ssorelativo | 2015-05-21 12:11 | ACR(アクセス・コード・リーディング) | Comments(0)
先日、悟りたい欲求は今はないなあと書いたのですが、昨日いきなりフルフィルメント瞑想(ハートマントラ)がやりたくなり、また習慣化することにしました。
何か逆の方向行っとるやんけ、というw

まあ、そういうものなのですよね。
片方に傾くと、バランスとろうとして逆の動きが出る。
自然なことです。

瞑想では相変らず体は勝手に動くし何か意味のわからない言葉で歌を歌うし、ほんと、相変らずどす。
でもこの現象は瞑想時に限ったわけでもなく、瞑想全然してなかった時期もふっとそういうことが起きたりしていました。

意味のわからない言葉で歌を歌う、に関しては誰かにどういう現象なのか訊いてみたいとずっと思いながら、今まで来てしまいました。

あんまりスピリチュアル系には人脈がありません。
これからかな。
何か楽しいことが起るといいです。
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by 6ssorelativo | 2015-05-20 14:37 | | Comments(0)

落ち込んでも祝福!

さっき見たんですが、ウィリアム・レーネンさんの言葉です。

あなたが、純粋な喜びにいるとき、純粋な感謝にいるとき、それを祝福してください。落ち込むとき、あまり自分が好きでないとき、同じように祝福していいのです。いいことと同じように見ていいのです

これは新しい!
この表現は新しい!
落ち込んだときなども、それを祝福していいなんて!

これ読んですっごい気がラクになりましたわい。

落ち込んだときとか、自分を観察する、とか、ニュートラルでいようとする、とか、一度思い切り落ち込んでみる、とか、流す、とか、そういう方法しか知らなかったけど、祝福を!

すみません、ひとりで興奮してますw


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by 6ssorelativo | 2015-05-19 12:45 | | Comments(0)
何となく雑記書こか。

自分のこととか全然書く欲求がなくなっちゃったんだよね~。
自分はこうでした、という話は参考になるとは思うんだけど、あんまり書く気にならないので書いていない。

だいたいが、一時期ちょっと思ってた、悟りたい、みたいなのもなくなった。
別にこれでいいんちゃう、というような。
からくりはだいたいわかったから、たとえば悩んだら(視点の)いる場所うつして、あ、これ全部ゲームだった、と思えばこれけっこう効くし、風呂入るときは頭のなかでホ・オポノポノやってたり、そのうえで、この人間世界で別にいいんちゃうん、という感じが出てきて。
社会みるとへんなこといっぱいあるけど、自分の周辺レベルはけっこう楽しいので。

悟ってでっかく変るとか、たぶんそんなにメリットを感じなくなったんだと思う。
それは基本的に心が平穏でいられてるからですが。
(この1月ほどは調子悪かったんだけど)

いろいろ、気楽でよくて、やりたいことも別になくてよくて、でもそうしたら、目の前のことやってたらそれが案外楽しくなって、続けてたり。

どうも、一点にポジションを取らないのが秘訣みたいです。
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by 6ssorelativo | 2015-05-18 09:23 | | Comments(0)
昨日書いた行動しにくい、という話ですが、その行動に関して頭のなかでいろいろくっついていると、重くて行動できない、ということがあります。

たとえば食器を洗う、ということに関して、もし、洗剤は完璧に落さないといけない、洗ったものをきっちりと並べなければならない、など、きっちりしすぎる概念がくっついていて、で、それがご自分の本質と合っていないとき、これはたいへん重くなります、食器洗う、という行動が、それだけでなく、さっき挙げたようなことや、すべてきっちりしなければ、という概念がくっついていると、その行動はとても重いものになり、動きにくくなります。
(繰り返しますがご自分の本質に合わない場合)

ひとつの行動に関して、頭のなかで付随している概念や「こうしなければならない」が多いほど、どんどん重くなり、その行動がとてもしにくくなります。

特に家事など、通常はできるもの、とされてしまっているものに関して(私は家事を通常できるものとは考えていませんが)、どうしてもできない、するのがものすごくいやだ、億劫だ、やってもいやな気分になる、などのことがあれば、その行動に付随しているものが頭のなかにないか、ちょっと考えてみてください。

思考は本来、その行動をするには、本質に従うとこういうやりかたがよくて、で、それをさらに効率よく気分よくするには、みたいなことを考えるためのものなのですが、現代の人間のなかでは、思考と本質のポジションが入れ替わってしまっていて、全部頭の指令が絶対、みたいなふうになってしまっています。
だから生きる自体が辛い、という人々が増えているのですが。

全体的に重い、ということもあるかと思うんですが(生きるの自体が辛い、までいっていると)、細分化していくとひとつひとつの行動に頭のなかでくっつけている「ねばならない」や概念が絶対にあります。
この細分化という方法を使う場合は、それら頭がその行動にくっつけているものを見つけてみてください。
で、それがわかったら、それらはほんとに「ねばならない」なのか? ただ母親がそうしなさいと言っていただけではないか、など、ちょっと疑ってみます。

そのあとは、違うやりかたも試してみます。
さっきの食器洗いだったら、まあ、洗剤は多少残るだろう、自分としては精一杯落したし、これでいいんだ、と思ってみる訓練などしてみます。
本質からそうやってきっちりやりたい、というふうでなければ、違うやりかたを採用したときに感じる不安は脳の誤解になってくるので、違うやりかたしてるから不安なんだな、くらいにして放っておきます。
(不安に寄り添うのももちろんアリですが、行動はしてみるのをお勧めします。やってみないとわからないですからね)

日常生活のすべてに関して、このように頭のなかでくっつけている「ねばならない」があると思います。
別に全部つぶさなくてもちろんいいんですけど、日常生活に支障が出ている場合、もしおひとりで対処される場合は、さきほど書いたような訓練を行ってみてください。

軽やかに日常を過したいものですよね。


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by 6ssorelativo | 2015-05-17 13:51 | ACR(アクセス・コード・リーディング) | Comments(0)
昨日の考えかたを変える、という話は、つまり思い込み(ビリーフ)を手放すということでもあります。
Aという考えしか見えなかったのを、ほかの選択肢も自然に浮ぶようにする。

で、何で思い込みが発生するかと言うと、それで子供のころ命を守れた、という経験があったからでしたね。

暮していて、動きにくい、体だけでなく、何か気持ち的に動きにくい、事態も動きにくい、という時期があります(今の私がそうです)。
そういうときは自分の思い癖の点検の時期なんですが、まあしかしなかなか辛いものですねw

何かじゃまなビリーフがありそうです。

今日は内容なくてすみません。

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by 6ssorelativo | 2015-05-16 08:51 | | Comments(0)
ACRは考えかたを変えるツールでもあります。
深いレベルでは心持ちを変える、という役割もしていますが、思考レベルだと、考えかたを変えるツールとも言えます。

考えかたや言動って何の結果として存在するかと言うと、心持ちの結果として存在しています。
行動から変えていくやりかたもありますが、訓練を要するので、ACRでは心持ちから変えちゃいましょう、それが一番手っ取り早いじゃん、という感じですね。

同じ言葉を言うのでも、心持ちによって聞え方、と言うか、相手への伝わりかたがまったく異なります。
で、何で心持ちを変えると言動が変るかと言うと、それまで見えていなかったものが見えるようになるからですね。
今までAという考えしかできなかったのが、B、C、D……とほかの可能性がどんどん頭にわくようになる。

で、今まで何でAという考えしかできなかったのでしょう。
それは、過去に、Aという考えかたでいちおう成功した(その場を乗り切った、など)経験があるからですね。
脳は過去から類推してくるので、過去に選んだ選択肢しか出てきません、通常は。
だから現実がなかなか展開しない、ということが出てきます。
特に、Aという方法が、ご自分の本質とかけ離れている場合(たとえば親のやっていることをコピーしたなど)、30代くらいに入るとだんだん苦しくなってきます。
本質と違うやりかたなので。
それで、望んでた結果が出ないようになったりして。

そうやって悩んだり失敗したりしながら、それでも、脳はそれまでのデータを変更しません、それで成功したことがある、乗り切ったことがある、ということは、それで命を守れたということなので、容易には過去のデータ以外のものは受け容れません。

だから、視野が狭まります。
視野が固まるのは、実は命を守るためだったんですね。

けど、自分の本質とかけ離れた方法をずっと使っていてはしんどいので、さまざまな問題が起きてきて、これはきっと魂が導いているのだと思うのですが、それまでの固まった方法や考えかたを変えざるを得ないような状態に達します。

で、これを変えようとしても強い抵抗があります。
潜在意識からやってくる抵抗です。
今までのプログラムでうまく行ってたんだから今さら変えるな! というような。

だから、自分を変えようとすると怖くなったり、罪悪感に引っ張られているかただと、悪いことをしているような気になります。

が、昨日も書いたように、そこは潜在意識の誤解なので。

誤解くらい、誰だってするさ~。
という感じで、潜在意識のことも許して頼ってあげましょう。

たとえば、ACRセッションを、受けようとするのだけれども当日どうしても来られない、というようなことがあったり。
セッション受けるのって何だか楽しみなんだけど、いざ行ってみると受けたくないなあと思ったり。
いろいろ、あります。

このへん全部、今の考えかたを変えさせようとしない潜在意識のプログラムなので。
まだ抵抗してるなー、てな感じで流してみましょう。
(昨日も書いたけど、あんまり怖いときはむりはしてはだめです)

まあともかく、考えかたを変えないと、同じ現実がずっとやってくることになります。
まあ別にそれでも全然いいんだけどね。
でも、本質とずれているとしんどいので。
みなさん結局、しんどさの解消がセッションの目的のひとつだったりします(自覚してるしてないにかかわらず)。

いつもの考えかたが自分の本質とずれているって、なかなか気づきにくいです。
たとえば、ひとつの考えかたを持っていて、うまくいかないこと続きだったとします。
けど、その考えを変える、という方向には通常思い当りません、なぜなら、その考えかたは、社会通念に沿うものであることが多いからです。
いわゆる「普通の考えかた」と言うのか。

でも人はもっとオリジナルなので、ほんとは本質では全然違う方法を知っていたりする。
けど、それが社会通念と衝突するかも知れない(社会からはみ出したら生きていけない恐怖があったりしますよね)、と思うと、やっぱなかなか変えられないんだ。
自分の本質に従ったらいけない、みたいなことを、育つ段階で獲得してしまう場合も多々あるし。

昨日も書いたけれど、親と意見が違って怒られた、ということだって、ほんとはただそれだけのことなのね。
けど、子供のころは、生命の維持を親に頼っているので、親が怒るというのは実はそうとうの恐怖です。
だからそういった恐怖は深く潜在意識に刻まれて、「この方法ならお母さん怒らなかった」みたいな方法だけしか見えなくなってしまいます。

で、それが、「社会通念」とくっついてしまうこともしばしば。
家庭の次の単位は外の社会だからね。
家庭で見捨てられると困る、ということは、外の社会でも見捨てられないようにしようとしますから。

それもあって、潜在意識というのはとても変えづらい仕組みになっています。
生命維持装置だからね。

でもあなたの本質は黙っていることができない。
違うんだよなー、という違和感、自分を大切にできていないことからくる憂鬱、いろんな感覚を使って、「違うよ~」ということを教え続けてくれます。

その辛抱強いこと。

だから、こちらが、本質の、小さな声に耳を傾ける態勢をとる必要があるのですね。

ある、忘れられない一節がありまして、どなたが書いていたかはもうわからないのですが、鬱に関して、
「人間の魂は、本人を鬱にしてまで魂に振り向かせようとする」
という言葉で、そのくらい、何てえのか、声は小さいんだけど、意志は強固なんだね。

てか、どの道、人間は自分の本質に沿ってしか心地よく生きられません。
だって、きゅうりとして生れたのに、なすの人生を生きろ、それが社会通念だ! とか言われてもねえ。
やっぱりきゅうり氏はあるていどの年齢で「自分、なすじゃない気がするんだよなー」と気づき始めます。

これは社会通念にしばられないで、という話でもあります。
社会通念が間違っているという意味でなく、社会通念にしばられすぎると、自分の本質に逆らうこともあるために、だんだん辛くなるので。
社会はこう言うけど、私みたいな考えがあってもいいんじゃない? って。
それを、誰かに言ったり説得する必要もありません、自分のなかで、こういう感性もあってもいいよねー、と、是認する、みたいな。

話とっちらかってきましたが、まあともかく、本質に従ってもそんなに社会から逸脱しないから。
てか、みんなが汲々と生きている狭い価値観の社会より、みんながのびのび本質に沿っている社会のほうが生きやすいわけで、今日本の人たちは、生きやすさに向って逆風にもがんばって立向っているような、そんな感じがします。

自分を捨ててはいけません。


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by 6ssorelativo | 2015-05-15 12:12 | ACR(アクセス・コード・リーディング) | Comments(0)
今日は、自分のために何かしてあげたでしょうか?

やらなきゃ、と思うとしんどくなるので、あくまで、自然にできる日や時でいいですが。

今日はちょっと長くお風呂に入ろうとか、今日は何もせずさっさと寝ちゃおうとか、あとは、いわゆる、自分へのごほうび系のことでもいいですし。

自分がほんとに何を望んでるのかな~、というのは把握するのが案外難しいものです。
が、何を望んでるかな~、と訊き続けたら、自分への感覚が訓練されるし、ちょっと自分の内側も心開いてくれるかも知れません。

望んでることって、ほんとに小さなことだったりします。
今日は一粒多くチョコレートを食べたいんだとか、そんなことだったりさえします。

自分がほんとに望んでることを知ったらたいへんなことになるんじゃないか、と潜在意識が誤解している場合もあります。
たとえば、お母さんに言われたほうじゃなくて自分の望みのほうを選んでみたら、えらく怒られた、とかね。
そういう記憶がある場合。

(ACRではセッションをするとご両親がよく出てきますが、その場合の母さん、親、というのは、今の親自身でなく、あなたのなかに住んでいる親の像、親が出してきた禁止条項リスト、みたいなもので、自分のなかに親の監視を再現している状態です、それが潜在意識の誤解になります)

でも、この記憶において、お母さんが怒った理由なんてあなたが背負わなくてもよくて、そのときお母さんは怒りたいから怒った、怒らなきゃいけないように潜在意識が操作したから怒った、のであって、あなたのせいではありません。

それに、さっきも書いたように、普段ほんとに望んでることなんてのは小さなものが多く、しかし、この、小さなものの積み重ねが、本来のご自分自身だったりします。

その積み重ねののちに、何らかの夢が見えてくるかも知れないしね。

ちょっと、自分がほんとに望んでることを感じてみる練習をしてみましょう。
そうしようと思ってとても怖くなったら、あ、潜在意識が誤解してるな、と思ってみましょう。
そっか、怖いんだね、と思いつつ、あてずっぽうでもいいので、ひょっとしたらこのカフェに寄ってみたいのかも知れないな、とかあたりをつけて、実際に入ってみましょう。
ほっとしたり、何らかの安心感、わくわく、を感じたら、それを本来の自分が望んでたということですし、その場合は、ああ、これを選んでよかったな、とちょっと実感をする練習もしてみましょう。
カフェに入ったけど、あんまり落ちつかなくて、すぐ出たいと思う、ならば、ちょっと今回は外れていました。
けど、いいんです、自分のために何か行動してみる、ということがだいじなんです。
ので、この場合も、当んなかったけど、ちょっと自分のために何かしてみたぞ、と実感する練習をしてみましょう。

ただ、どうしても怖い、という場合は、むりしないでね。
ちょっとずつ、できるときにやっていけばいいと思います。

友達とランチだけれど、和食か中華か何が食べたいかわかんない、みたいなことも、けっこうあるかと思います。
それはそれ、で、もし友達が食べたいお店を決めたら、そして、もしあなたが自分の意見が言えなかったとしたら、ちょっとこの場は流されてみましょう。
で、メニューを見ながら、あれ、自分はほんとは和食がよかったのでは、と思ったら、それを自覚して、ちょっと置いておきましょう。このときに、よし、夕食は和食にしよう、と決めてもかまいません。

この場合、いろんな罪悪感が動く場合がありますが(今夜和食にする、と思ったら悪いことをしているような気になる、など)、それも潜在意識のプログラムなので、ああ、罪悪感があるな、と思いつつ、今は目の前のことに集中しましょう。
今目の前のことは、何でしたっけ?
友達とランチをするということでしたね、友達と、楽しい時間を過すことに集中してみましょう。

そうしたら、帰り道、あれ、ほんとは今日はパスタを食べたい、と思うかも知れません。
感性て刻一刻と変わるから、変ったほうの内容に従ってみてください。
頭は、「お昼には和食がいいと思ったのに」と抵抗するかも知れませんが、ああ、抵抗してるな、そうだね、お昼は和食と思ったね、と思いつつ、その時点で一番食べたいものを選んでみましょう。

こんな感じの経験の積み重ねが、自分との対話をスムーズにしていきます。

ACRでは、自分との対話をスムーズにするお手伝いもしています。


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by 6ssorelativo | 2015-05-14 15:50 | ACR(アクセス・コード・リーディング) | Comments(0)
よく、今を大切にと言いますが、今を大切にするとはどういう意味なんでしょう。

今を大切にするとは、今この瞬間に没頭するという意味だと思います。
何かをしていたら、他事を考えず(特に過去や未来のことを考えず)、やっていることに没頭する。
何もしていなくても、過去や未来のことを考えず、「今」に在る、という。

で、私はずっと、今を大切にする、と言うと、何か有意義なことしてないといけないのかな~、と勘違いして苦しかったのですが、別に何やってようと、やってまいと、「今」を大切にしたら、もうそれはすでに大切にしたということなので、何をやっているとかやっていないは関係ないのです。

さきほど書いたように、特に、過去や未来や、時には他者についてあれこれ考えることも、「今ここ泥棒」だと思います。
かと言って完全に考えなくするなんて人間には不可能だけど、可能な限り、「今」にいる、何をやっていてもやっていなくても、「今」を最高の瞬間ととらえる。
(このへんでじゅんいちダビッドソン氏の本多選手の口調になってきた。)

まあ、楽しいとか、楽しむ、というのは「今に在る」としては一番いいかなと思いますが、人間、そういう瞬間ばっかでないのはこれ当り前なので、今この瞬間に感じてることより思考を優先するのを、なるべくやめてみましょう。

「今」は今しかありませんから。
過去や未来のことを考えたり、過去の感じ方の癖、未来への不安、に引っ張られる時間をなるべく少なくしましょう。

ACRはそんなお手伝いもしています。

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by 6ssorelativo | 2015-05-13 12:19 | | Comments(0)

日々、潜在意識に操られるのもしんどいですよね。操られないポイントは、潜在意識と対立しないこと。そして潜在意識に負担をかけないこと。そのへんのお話から、前に進むヒントをお伝えします。(Access Code Reading(略称ACR)はキャシー天野さん開発のセラピー法です)


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