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私は、何か決めなければいけないのに決められないとき、自分の体に訊く、というのをやります。

AとBの選択肢がある場合、Aを選んだらどうなりますか、と訊きます。
すると、たとえば肩の力がすっと抜けて、呼吸が深くなって、時にはにやにやしちゃったり、みたいなときは、Aを選んでいい、というときです。
逆に、呼吸が苦しくなって首がしまるみたいになって、眉間に皺が寄ったりした場合は、Aは選ばないほうがいい、というときです。

昔、会社を辞めるか決められないとき、これをやって、たとえば
「会社を辞めて一か月後はどうなっていますか」
と訊いて体がどういう感覚になるかを観察する。
「会社を続けて一か月後はどうなっていますか」
とやはり訊いて体がどういう感覚になるかを観察する。
というふうにやっていました。

まあもちろんこの選択は絶対なわけじゃありません、Aを選んだら体的には緊張してしまう場合も、Aを選ばないといけないときもあります。
そんなときは、Aは体が緊張しちゃうんだよな~、と知っておくだけでいいんです。
Aをすると緊張するから、ちょっとリラックスを心掛けよう、とか、できますよね。
リラックスできなくても、それが体の感覚の正直な反応だから、いいのです。
自分の状態を把握していないのとしているのでは、全然違いますので。

たいだいが感情の揺れとかストレスって、実は、ほんとは体が緊張してるのにそれに気づいてなくて失敗をして精神状態が揺れたり、ほんとは怖いのに怖さを感じないようにしてしまい、あとで怖かったストレスがどっとくるとか、そんな感じで、起きます。

なので、そのときそのとき感じているはずのことは、恥ずかしい、とか、これを自覚したらプライドが崩れる、とか、そういう、思考や潜在意識のプログラムを飛び越して、ちゃんと意識に上げて感じたほうがいいのです。
しかし最近本を読んでいて、自分に嘘をついているために自己不信になって力が発揮できない、というような事例が続けて出てきました。

その件はまたこんど。

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by 6ssorelativo | 2015-05-02 15:46 | ACR(アクセス・コード・リーディング)
タイトル、途中、怒りが抜けていますが、まあしつこい怒りが恨み、という言いかたもあり。

対人関係で我慢をしていると、何だかいつもすっきりしない気持ちになります。
自分の気持ちを無視しているからですね。

かと言って、何でも思った通り伝えればいいのかと言うとそれも違い、自分はどうしたいのか、相手とどういう関係性を作り出していきたいのか、に常に視線を送って、で、それらを自分のなかで了解したうえでものを言ってみると、たとえば相手を責めるような言いかたはしなくなります。

視線を送る対象として、まず最初に「相手が何を望んでるか」に特に日本の人は目が行きがちですが、これはやめたほうがよい。
これこそが、我慢の原因になってるからです。

何だか知らないけど、自分より他者、というのが骨の髄まで染みついている感じで、日本人であるのはとても疲れると思う。

疲れるけれども、まあ、そっからスタートして、ともかく幸せな状態に在れるようになりませう。

「相手が何を望んでいるか」は、じゃあ考えなくていいかと言うと、それも極論なんで、「自分はどうしたいか」のあとに、考えるとしたら考える、くらいでいいかと思います。
自分はどうしたいか、という視点で考えて発言していたら、これは無意識レベルでも相手と対話しているので、相手も、「自分はどうしたいか」を考えてコミュニケーションしてくれるようになります。

日本人全体で、ここは訓練のしどころだと思います。
相手のことを何より考えるのもときには重要かも知れませんが、でも、自分という柱がしっかり立ってないのに他者は助けられませんから。
ここがすごくこの社会では度外視されている。
自分はぼろぼろでも他者を優先しなければならない、みたいな。

でも、他者を大切にするために、まずは必ず自分を大切にする、というプロセスが必要です。
でないと、さっき書いたように、自分がしっかり立っていなければ他者を支えることはできないからです。

そう言えばこないだ加藤諦三さんの本をまた読みましたが(「アメリカンインディアンの教え」)、それを読んだあとに考えるに、過剰に支えようとするのも、これはエゴであって、全然愛情じゃない、という。
自分がどうにかなっていないのを、他者を助けることで自分がどうにかなっていないことから目をそらせるとか、人間にはさまざまな複雑な心理があり、厄介なのは、社会通念がどっちかと言うと、善意の仮面をかぶったエゴのすることをよしとしている点ですね。
すごくわかりにくい罠だと思う。
でもここ、幸せに在りたいと思うならば、どうしても越えないといけないところでもありますから。

でも、厳しい試練なんかじゃなくて。
ともかく自分を大切にするということです、自分て今どうしたいのかなー、という視点、対人関係でも、常に、ですね。
こちらが「こうしたい」ということを素直に伝えられたら、相手も、「自分はこうしたい」と素直に伝えられますから。
だから、「自分はどうしたいか」という視点でものを考えるのは、対人関係でも、互いのためになっていきます。

で、そうそう、我慢は、しだいに相手に対する「私は我慢してるのに相手は好き勝手やってる」という不満になり、ここで表面化しないと、深い恨みになっていきます。
日本でいわゆる熟年離婚が多いのは、女性が、(社会通念にしばられ)我慢をして、それが夫への不満になり、そして、長い年月をかけて深い恨みになっていくからです。

難しいんだけど、怒っているときは怒っている、これはいや、私はこうしたい、これらがもし女性たちに言えたならば、深い恨みとなっていくことはないでしょう。

男性は、「言わなくてもわかってる」と思いがちなんだけど、もしそうでないならば、「私はこうしたい」という話しかたですね。
これするだけで、男性は自分が責められているという誤解をしないで済み、話し合いがスムーズにいきます。
(話し合いさえなくたってほんとはいいんだけどね、夫婦のやりとりって最後は間合い、みたいなところが実はある、けど、それでは伝わらないことがあるので(特に女性が女性語(言外のコミュニケーション含む)を使っているとき、男性はほとんど理解できません、言語が違うから)、女性が恨みにこりかたまらずに男性と話していくことが必要なんだろうな、と思います)。

ハナシずれるけどさ、カギっていつでもほんとは女性が握ってるんですよ。
あるいは男性のなかでも、彼の女性性こそが何かのカギを握っているのね。
女性性は発案者であり、男性性は実現者なんです。
ここがひっくりかえってるので、今の人類は何だかとてもへんなことになっていて。

まあそれはともかく、自分はどうしたいのか、わからないときは、素直に「わからないんだけどさあ」と言ってもよくて。
そのくらい、自由でいいと思うんです、対人関係って。
だって、普段べつに、相手を傷つけようと関わるわけじゃないじゃんね。
だったら単純に、わからないことはわからないと言えばよく、そしたら、自分で、わかるじゃない、少なくとも、自分は自分の気持ちが今いちわからないらしい、とかさ。
それがわかるのも偉大な第一歩なんですよ。

もっと自由に。
私もそうしていきたいです。

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kreutzer_aあっとnifty.com

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by 6ssorelativo | 2015-05-01 13:35 |

Skypeセッションの感想

Skypeセッションの感想をいただきましたので、ご本人の許可を得て掲載させていただきます。

先日はお世話になりました。

私は調子を崩して以来、不安が強く現れてしまってなかなか新しいことを始めることができないでいるのですが、先日の優さんのセッションは不思議と緊張せずに受けることができ、自分でも驚いているところです。

セッションは驚きの連続でした。正直に申しまして、五行の概念を説明されたときには全然ピンとこなかったのですが、セッションが進むうちに、こと年齢遡行の際に「なぜこの歳に焦点があると知っているのか」と私の中の当時の自分が驚愕する瞬間が多々あり圧倒されました。

そんなわけで、落ち着いてセッションを始めたつもりだったのですが途中から昂揚してしまって饒舌になってしまいました。鬱陶しくてスミマセンでしたw

セッションの数日あとの優さんブログで勇気の話題がありましたよね。つまるところはそうなんだよな、と実感しています。私もちょっとだけ勇気を出してみます。


陰ながら応援しております。
ありがとうございました。

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by 6ssorelativo | 2015-05-01 09:33 | ACR(アクセス・コード・リーディング)

日々、潜在意識に操られるのもしんどいですよね。操られないポイントは、潜在意識と対立しないこと。そして潜在意識に負担をかけないこと。そのへんのお話から、前に進むヒントをお伝えします。(Access Code Reading(略称ACR)はキャシー天野さん開発のセラピー法です)


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