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何かふっと思いましたが、何事も、自分のできる範囲でやればいいんじゃないでしょうか。

確かに、自分の力を信じたら、いわゆる「広大無辺な力」というのと同期できるのかも知れないが、それ以前に、ほんと、今の自分のできる範囲でやったらいいんじゃないだろうか。

季節柄、大掃除とか、完璧にしないととか、何か、自分を鼓舞しないかたちで、やらないといけない、と思っても力が出ないので(最初はいいがだんだん体は反発してくる)、まあまあ、たとえば今の私だと、掃除機かけるのは正直しんどいから、床掃除用のモップ(モップじゃないが何かそういう感じのやつ)で埃を集めるくらいならできると思うんで、それはやってみる、とか。
 
で、掃除機かけなかった自分を責めない、と。

やれる範囲で、自分の気持ちや体にも訊きながら、やったわけだから、それが今の自分にはちょうどいいところだから。

焦点合せるべき目標って、完璧、とか、もっとよくなる、じゃなくて、
「今の自分でできることをできるようになる」
かも知れないですね。

で、できないときがあってもいいし。
今の私だったら、モップで埃集める、というのが、できなくてもまあ、別にいいのだし。
ほかの、できそうなこと(たぶんそれは瞬時に変っている)をやったり、またはほんと今は何もできないなーと思ったらやらなくて、好きなテレビ観てたり音楽聴いたり散歩行ったりして何でもいいからリラックスして、そしたらふっと、「やろっかな」と思えるかも知れないし。
(ほんと、あくまでも、やれそうなこと、やれること、やってみたいこと、やりたくないこと、って瞬時に変るので。その、変るのも、人間て知らんうちに責めがちだけど、それも責める必要ないし。)
 
てなことを思った年末でした。


ではみなさん、よいお年を。
今年は全然年賀状書いてません。
用意はしたので出すかもは知れませんけど。

喪中ハガキくださったかたがたも、ありがとうございました。

そしてみなさん、今年も縁を持ってくれてありがとう。
毎日てきとーに自分にやさしく、やっていけたら嬉しい。


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by 6ssorelativo | 2012-12-31 15:36 |
↓にさっきひとつ予告記事みたいなの書いたけど、やっぱもう「落ち着いた」感じについて書いちゃう。
 
 
本文。
 
ちょっと前、会社の人が、女性の願いをひとつだけ叶えてくれる、というので最近有名らしい三重の石神さん(神明神社)という神さまのところに行ってきた、とおみやげをくれた。
 
で、そっから何週間か気になってて、この盆休みにさっそく行ってきた。
 
願いごとは、私はぱーぱーなので書いちゃうけど、
「そろそろ生きかたを定めさせてくれいw」
というものだったw
 
何かどっか、自分で定まらんのよね。
で、どっちかってえと、たとえば結婚してある種の自由(好きに海外行くとか)を捨てるか、あるいはこのまま独り身でいくか(そして最後は仲間たちで暮すという夢がある)、みたいな、二者択一の選択を考えていて。
 
けど、おとといくらいに、あれえ、さっそく願い叶ったじゃん、というような発見が自分のなかであって。
 
何か私の一番深いところ(?)の願いって、すっごく単純に、
「ひととつながりたい」
ってことらしい、と。
 
それが基軸だとしたら、結婚するとかしないとかじゃなく、自分がどういうふうにひとと関わっていきたいか、が基本であって、それさえ満たされたら、結婚するしないも、まず自分の基軸がしっかりしたうえでの、自由な選択ではないか、と。
 
だから、二者択一的に、結婚するか否か、みたいな問いかけをしたけど、答えは全然違う第三の選択で。
 
 
で、今日、この神社を教えてくれた会社の人に、願いが叶ったような、という話をしたらえらく喜んでくれて、また別の、
「この神社の画像を待ち受けにしてるといいらしい」
というやはり三重の椿神社というところの画像を送ってくれたw
 
私としては、自分の生の基軸が見つかったような気がする、というのも嬉しかったが、会社の人が画像を送ってくれたのが嬉しかったw
今まで10年以上同僚やってるのに、互いにケータイのアドレスとか知らなかったけど、これを機にちょっと近くなった気がして。
(ほらほら、このへんが、私の「ひととつながりたい」という本質に沿った感じ取りかたなのだと思う。)
 
かと言って、これから「もっと親しくなりましょう」とむりやり持ち込んでいくのでもなくて、ケータイでのやりとりは別に今回の画像だけでもいいし。
 
何か、色んな人とのゆる~い感じのつながりを、ちょっとずつ楽しめるようになりたい。
 
おやすみ。
 
追記
男性の願いを叶えてくれる、という神社もきっとあると思う。
まあふつーに性別関係ない神さまにお願いすればいいのだろうけどw
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by 6ssorelativo | 2012-08-20 23:07 | 前へ進むということ
最近のはやりはひとりセッションだ。

一日おきくらいにやってる。
 
さっきもいろいろ面白かったけど、今日の到達地点は、
 
自分いったい何をカッコつけようとしてたのだろうwww
 
ってとこで。
 
やっぱり一生懸命、だめな自分を隠そうとしてたんだよね。
特にヒロシくんに対してね。
 
でもいったい何を隠すことがあろうかとw
 
もうういいじゃん、だめなとこもいっぱいあるんだからw

やっぱ、誰か違う人になろうとして必死だったんだよね。
 
ここで欠点あげつらってもどうでもよくて、「これ」、全部で自分であって、「なろう」としなくていいわけ、ただ、「これ」。
ここにある自分、全部。
 
 
うーん、何だかとっても笑けてきた。
もんのすごく一生懸命、いい面だけの自分、でいようとしていて、ちょっとでも自分的にダメ出ししたくなる言動をしたら、
「あの人にどう思われただろう」
と頭のなかのたうちまわって、
「いや自分がほんとに言いたかったのはこういうことなのだ」
とか
「いや自分はもっとすごいこと考えてるんだ」
とか思って、いつも
「いつか、いつか」
と思っていて。
 
いつか、この不安が消えたら、とか
いつか、この怒りがなくなったら、とか
いつか、人並みの話しかたを身につけたら、とか
 
リベンジ狙いすぎだろおめwwww
 
だよなあ。
 
ほんと、笑けるのですが。
リベンジャー、ってUNITEDファンにしか通じないネタなんかも言ってみたりして、いや、わしほんとにリベンジャーだったのだな、ある意味で。
 
がっはっは。
 
いつか、っていつよ!?
 
いつか、なんて永遠に来やしないのだ!
まじに!
 
がっはっは。
 
「これ」でいいのだ、「この自分」でいいのだ、わはははは。
 
 
寝よ。
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by 6ssorelativo | 2012-07-30 23:38 |

アツく語るびょうき

私の、時にやたらアツく語るってのはびょうきみたいなもんだ。

びょうきが発症して、ひととおり語りまくって、その間の精神活動の規模はハンパでなく、しかし、びょうきがおさまると、ああ、また余計なこと語ったなあと思いながら、でもまあそれでいいのだ。

私の語ることの行き場なんてない。
そしてそれもまたそれでいいのだ。

さあ、今日からはもう少し自分の内側そのものにフォーカスしよう。
文章だけでなく、対面でももっと心開いていきたいから。
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by 6ssorelativo | 2012-04-11 11:54 |
この土日はまたACRのクラスでした。
レベル4です。
 
今回も「これか!」があったので書いておきます。
 
 
キャシーさんがよく、
本当の感情に触れれば(人は)変る
と言っていて、たとえば、セッションをして、わけもなく涙が出るとかですね。
そういうときは本当の感情に触れているときで、その後その人は大きく変り始めるそうです。
 
 
通常、感情と言うと、今怒っているとか寂しいとか、今感じている表層のものを指しますが、そういった表層の感情ってのは実は過去に感じたもっと深い感情に呼応しているだけです。
 
表層の感情というのはどういうことかと言うと、たとえば表層で怒ったりしていても、少し深いところではそれは悲しみだったり、さらに深いところではそれはまた別の感情の可能性がある。

で、キャシーさんの言う「本当の感情」というのはその、深いところで感じているほうの感情で、それは実は記憶の再生に過ぎないんです。
 
でも人間は、その、記憶から引き出してくる感情にほぼ操られています。
(つまり、潜在意識にパターンとして存在している、「特定の出来事があると特定の感情を感じて特定の行動をする」というものに操られている、ということ。)
 
だから人間ってのは今を生きているようで、ほんとは過去の感情の繰り返しをしているに過ぎない、ということが多々あります。
 
で、表層にある感情でなく、それが起る原因となっている根底の感情、人生のたいがいは早い内に感じたある強い感情、これは通常本人は自覚できなくて、だから潜在意識を書き換えるのは自分では困難なわけですが、その、なかなか自覚できない感情にセッションで触れられるようなときがあると、私の場合は、ですが、泣いてしまう。
クラスで見ていても、やっぱり深いところに触れるとみんな泣くことが多いです。
 
 
で、「本当に感情に触れる」ということなんですが、今回、すごく鮮やかに理解したので、書きます。
 
今日、ある人とセッションの練習をして、終えたとき、キャシーさんが「どうだった?」と訊きに来ました。
 
私は何だか動揺していて、と言うか、「私、もう大丈夫だもん!」ってのと、この、動揺してしまう、ってのを日常で私は繰り返していて、このときは動揺フェーズで、しかし、ひとつよかったのは、自分が何に動揺しているか、ちょっと判りかけてきてたのです。
 
で、キャシーさんに話してるうちに、
「相手を怒らせないようにしている」
という言葉が出てきて、これがトリガーになって泣いてしまった。
「これだったのか!」
でした。
お母さんが、ほんとに怖かった。
お母さんを怒らせないようにするというのだけが、私の子供時代にやっていたこと、というくらいに、怖かった。
ほんとに怖かった。
 
まあそれはいい、ってか、今の文章も半分自分のセラピー的に書いてるところがあるんで「怖い」を繰り返してしまいましたが、まあともかく、
「お母さんを怒らせないようにする、そのためには全部我慢する、自分の感情は無視する」
というのが私にあった書き込みのひとつだったと。
 
でね、この、
「相手を怒らせないように怒らせないように行動している」
ってのは、私は頭では何年も前から自覚のあったパターンなんです。
 
でも、頭で「ああ、私はこれパターンだな」って、見つけるのはもちろん初めの一歩としてほんとに重要なんですが、でも、頭で
「相手を怒らせないように怒らせないように行動している」
ということが判っていても、全然書き換えは起らないんです。
 
(前も書いたように、パターンを自覚することで、そのパターンを繰り返しそうになるたびに違う選択を繰り返す、ということで、書き換えは可能です。でも時間はかかる。)
 
この場合で「本当の感情に触れる」というのは、その、
「お母さんを怒らせるのが怖い、怒らせないために何でも我慢する」
という感情そのものが表層まであがってきて、あるいは、表層から、根底にあるその
「お母さんを怒らせるのが怖い、怒らせないために何でも我慢する」
に触れられて、つながれる、ということです。
 
自分のなかに冷凍保存してあった感情の記憶を、解凍してもう一度生の感情として感じる、再び体験する、という感じです。
そういうときに、多くの場合は涙が出、その感情が初めて癒されます。
 
そして、その、原初の感情は、癒されると、表層の感情を操って人間を操る、ということをやめます。
 
こういう道のりによってそれまでパターンでしか行動していなかったのが、そのパターンが消えるため、まったく新しい選択、本来の自分から素直にでてくるひらめきのようなものに従って動けるようになる。
 
これが私が経験してきている変化であり、ACRで扱う変化です。
 
 
「相手を怒らせないようにする」
なんてのは字面ではあまりにおなじみだったので、これを口にしたとたんに
「これだったんだ!」
と泣いてしまったのはほんとに意外でした。
 
が、これこそが、頭で理解しているのと「本当の感情に触れる」のはまったく違う、という実例だな、と。
 
深く理解する経験ができてよかったです。
 
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by 6ssorelativo | 2012-04-01 22:12 |

うだうだ

いや~今日は初めて親が(かなり勝手に)セッティングした見合いのようなものに行ってきましたが楽しかったです(世界の観察が)。
 
自画自賛だけど、こないだ作ったDIR EN GREYほぼアルファベット順再生リスト、"Dozing Green"~"Drain Away"ってむりむりな流れだと思ってたけど、これが案外いい!
これって同じバンドの音かよww ってのもあるが、何つか、振れ幅のでかさがいいんだよ。
 
 
そういや一時期、そうだな、二月なかばくらいまでこのブログも来訪者数はいい感じに伸びていたが、この一か月ほどぱっとしないだよ。
まあ、来訪者数はぱっとしないが、ページビューはまあ落ち込んではいない。
まあいずれにせよ淡々と続けていくぜ。
(でもカテゴリの整理とかはしたいなあ。)
前のブログが気に入っていた人は、私(のブログ)に何を求めてくれていたのかなあ、とふと考えて、きっと今は「優さん宗教にハマったw」って感じに思う人もいるのかも知れないけど、まあ、今のありかたのままでいよう、気が変るまで。
 
ってか、「宗教に~」ってより何より、「DIR EN GREYかよww」だよねw
しかも「そこまで命かけるのかよww」だよねw
自分でもびつくりなんですけど、でも、だから人生っておもろいのではないかなと思わなくもなく。
ふつーに、ひとつのバンドやその音楽に、しかもほぼ最近になって本格的に登場したものに、ここまで没入できる自分はいいなあと思うし、こないだの記事の続きみたいになるけど、「生きてる」って感じだなあ、魂かける相手が自分や人間でないのは空しい人生なのかどうか判らないけど、でも、自分としては、今自分の持っているDIR EN GREYへの気持ちもまた人生において宝石のようなものだなと思う。
 
ここに来て、こんなものが用意されていた。
 
それが私の人生。 
 
Now playing: DIR EN GREY/Drain Away
 
追記
今"Drain Away"が終って、わし再生リストだと次"The Final"なんだよwwwww
自分で言うが神展開wwww
感動しすぎて息絶える寸前系ww
 
てなわけでまたDIRさん聴きながら寝る準備するか。
んもう幸せすぎてどうしてくれよう。
 
おやすみなさい。
 
Now playing: DIR EN GREY/The Final
 
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by 6ssorelativo | 2012-03-24 23:15 | 雑記
体を体さんに明け渡すの続き、みたいな感じ、だが時間がないので情報だけ、みたいな感じで。
 
私が伝授を受けたのは、フルフィルメント瞑想(のハートマントラ瞑想)というものでした。
 
http://www.fulfillment.jp/index.html 
ってか今このサイト見つけたw
 
ちょっと読んだけど、まあ瞑想関係ないけど(ほんとはあるけど今はないとしとこう)、チャネリングとか、よう判らんなw
 
いや、あるだろうとは思う、実体験から、何か、それらしきものはあるだろうなとは思うけども、まだ今の私はもうちょっと「スピリチュアル系ってよく判らんよね」というスタンスも保ちたいw
はい、これでも保ってるつもりwwwwwww
 
いやまじな話、実体験書いてるだけだからなあ。
 
↑のフルフィルメント瞑想についても、まだ始めたばっかだけど、私は基本的にどーも体質がいろんなことに敏感というのがやはりあるらしく、最初の1週間は信じられんことの連続でした、でもたぶんそういうのはみんなにあることではないと思う。
 
(一緒に伝授受けた人のひとりは、「ただ目を閉じて座ってるだけだった」と言っていたし。それに「不思議なこと」を求めて瞑想する、ってのはこれ非常に間違った動機なので、もし瞑想に興味持った人がいたら、とりあえず、私が書くことはあくまでも「瞑想体験優さんバージョン」ということで、個人個人の体験を楽しむのが重要かなと思います。)
 
まあ、やっぱ、一番現実的に「瞑想って確かに効果あるよ!」と言えるかなというのは、先日ちらっと書いたように、生理痛が7割減くらい! ってことかな。
 
これは、まさかこうなると思わなかったのでびっくりし、しかし同時に「こういうことか!」という感じでした。
 
今日の瞑想も、「なにこの寝ながらストレッチwwwwww」という感じであり、私はまあ特に体に全然関心持たず、敵対さえして生きてきたので、体の調整、ってのがしばし続くのだろうなとみています。
 
瞑想中に体が勝手に動く、というのは、このフルフィルメント瞑想の中心人物のボブ・フィックスさんの本を読むと「カルマの解放が起きている」と書いてありますが、このカルマってのは、いわゆる一般的に言う業(ごう)、とかいう感じのカルマでなく、自然な流れに逆らう動き、摩擦、という意味らしい。
 
ちょっとズレるかもだけど似た例を挙げると、たとえば怒りがわいたとき、動物ならば、怒って、その場で攻撃したりして、脳内で分泌された興奮物質をその場で解放しておしまい、なんだけど、人間はそれがなかなかできないでしょう?
それで溜まっていくものがある。
ストレスもそんなようなものだし。
まあそういったものの、もうちょっと、「(宇宙の)流れ」バージョンのもの、と思っていいかと思う。
 
それが、瞑想中に解放される、と言っているわけですね。
あ、これは体が動かなくても、どのような瞑想であっても解放は必ず起きる、というのがこの瞑想の特徴らしい。
 
 
時間ないと言って長くなってきたのでもうちょっとだけ書いて終るか。
 
 
「体を体さんに明け渡す」の話だけど、ほんとに「体さん」に自分を明け渡せるといいのですが、体の動きが実は潜在意識からのサインだったりするときがあって、そこがちょっと見分けのつきにくいとこです。
 
潜在意識は変化を嫌うので、「これをやると潜在意識に変化が起る」と察知したことをやろうとすると、気が乗らない、憂鬱なのはもちろんのこと、ほんとに足を重くしたり、動かなくしたり、あるいはどこかに行く場合は道に迷ったり、もうほんとにすごいです。
 
そういや↑の瞑想の伝授のときも、あったな。
申し込んだはいいものの、伝授の日が近づくとだんだん怖くなってきてですね。
もうほんと、行きたくないなあ、と思っていた。
 
で、伝授の前日に、事務局の人(私が伝授を受けたのは阿部智子さん(阿部敏郎さんの奥さん)なので、阿部さんとこの事務局の人)が電話をくれて、伝授の詳細を教えてくれて。
で、行きます、と言ったんだけど。
 
ほんとは行きたくないわけですよww
けど、行くと言ったので行ったわさ。
 
そしたら、阿部智子さんが、
「優さんは次回に延期と聞いていますけど、せっかくいらっしゃったので大丈夫ですよ」
とwwww
 
これ、もちろん現実的には「手違い」という部類のものだと思いますが、自分では「あ~私の潜在意識、やりやがったな」と思いましたw
 
まあでも逆に言うと、抵抗が大きいものほど、その後の変化が大きい、ということだよね。
潜在意識の警戒が強ければ強いほど、それは大きな変化をもたらすものだということにはなる。 
 
けど、あまりいつも「怖いけどじゃんぷ!」ってのばっかでも負担になることもあるとは思うので、たまに思い切ったことをやって、で、どうしても動かないものがある、ってときはよく自分と対話したり、思考さんに一時引退してもらったり、まあ潜在意識から直接答え取る系のセッションを受けたりして、動くこと自体への抵抗を減らす、というのもいいと思います。
 
 
時間ないとか言ってけっこう書いたけど、内容はとっちらかったな。 
 
まあいいや。
 
ともかく、現代社会に育つと、思考(マインド)こそ自分自身だ、というふうにしか思えないと思うけども、マインドこそ、欺くものであって、自分自身ではない、ということだけ、最後に書いておきたいな。
 
私もちょっとずつ学んだり把握したり体験したり理解したりしているので、一緒にちょっとずつ進んでいけて、生きるのがちょっとでもラクになったら嬉しいよね。
 
というわけで今日はさいなら。
 
Now playing: SOUNDWITCH/Grotesca
 
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by 6ssorelativo | 2012-03-15 23:05 |

「毎日が正月」、など

ちょうど二か月前に書いてうpしないままだった記事をゆうべうpしたつもりだったんだが、「非公開」設定を変え忘れていたためうpされなかったww
ってのを今夜こそ公開しますw
(書いた当時公開しなかった理由は思い出せない。)
以下本文。
  
 
久々に京氏のことを書いてみます。
 
正月にモバイルサイトのメンバー質疑応答を読破したと書いたが。
 
あれのなかで、一番印象に残っているのは、まあそれは各メンバーありますが、京さんので一番今でもことあるごとに頭に戻ってくるのは、
 
歌を始めたころは日本一くらいへたやったけど(その後ともかく練習練習練習努力努力諦めないでともかくやった)
 
というような話です
 
最初は何でもうまくいくわけない、そこで諦めなくてどれだけやるか、という話ですが
 
まあうだうだ書きません
何つかこういうところが好きなんだよな
 
深刻になれ、ってのともまた違って
だって結局自分がやりたいかどうかだけだし
 
またさらに、まあここは京さんはこう思ってないと思うけど私が思うのは
 
やめるならやめるのもいいと思うんです
 
でもそこで重要なのは、そこで反省する、とかではむしろなしに、いかに「次!」にいけるかってことで
 
むしろ自分を責めずに
 
 
あと、前、京さんが
「他人がどう思うかはほんとに関係ない」
と雑誌か何かで言ってたけど、それについて一番
……ほんとそうだよね
と思ったのは、DIR EN GREYの作品のアマゾンのカスタマーレビューを読んだときだった
 
……いろいろ説明しようと思ったんだけどうまく書けないのでやめる
 
 
なのでついでにほかに印象に残ったことを書こう
 
ともかく京さんは「自分で在れ」って思想?の人ですね
 
思想ってかこれはまあ真理でしかないんだが
 
相談者、じゃないや、質問者が(だって何かここ数年の質疑応答は質問と言うより人生相談みたいになってるからw さすが京さんと言うかDIR EN GREYと言うか)、
自分のこういうところを直したい、どうしたら直せるか
と訊くと、
直さなくていい
と言う
 
あるいは、
京さんに一言もらえたら自分は今やりたいことをやれる気がする
というような言葉には
あえて何も言わない
という回答をしたり
 
結局、自分の意見でさえ、その質問者本人には意味がないと考えてるってのか、たとえば、質問者がAという答えを持っていて、でも京さんはBだと思っていても、質問者がA言うんやからそれでええやん、というような
 
それくらい、「当人がどう考えるか、どう思うか、どういう在りかたか」というの以上に重要なものはその当人にはない、という考えを貫いてるってか
そういう感じがしますな
 
 
あ、そうだ、あともうひとつ思い出したw
 
毎日が正月
 
ってのが笑えたw
 
つまりさ、「特別行事の日」なんてない、って言ってるわけですよ、「毎日が正月」はw
日々に序列はつけない、すべての日を大切に過すのだ、という意味ですが
 
んで、過去を振り返らない、先のことも考えない、というのも回答からうかがえる
いわゆる「いまここ」だけに意味がある、というのを判ってる人
 
かと思えば歌詩ではそれとは真逆のありかたを垣間見せたりする
そういう、ある意味一貫性がないのが、人間らしいと思うんだ
 
 
ってか、ついでに書くと、まあ人との約束とかはこの限りではないが、たとえば考えかたとかその他、思ったこと、とかって、「前の自分がこう言った」ってのに一切引きずられる必要なんてないんだ、と最近強く思っている
 
発言に一貫性があるなんて、何の意味があるのやら
 
それがほんとに「信頼」なのだろうか?
 
昨日はまんじゅう食べたくて
今日は食べたくないというとき
「食べたくない」という気持ちをおさえて自分に嘘をつき
「ま、まんじゅう食べたい……」
と言うのがほんとの誠実なのか、ええ?
 
すんません
 
まあつまり、「今」自分が何を感じてるか、を度外視することはほんとの誠実でわないと思うんです~。ってことであります。
 
 
でまあともかく自分に優しくしましょうね、ってことでもあります
あ、京さんは「自分に優しく」とは思ってないと思うけどw
 
Now playing: DIR EN GREY/Vulgar
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by 6ssorelativo | 2012-03-13 21:47 |

自分の本質を受け入れる

昨日の散文はちょうイミフだな。
いや、自分では論理矛盾はないんですけどね。
 
とまあ、真言もいいんですけど、DIRさんに関しては、"Jealous"のPVを観て笑う、などのことも必要ですよね!
 
 
ところで先週のキャシー天野さんのセッションのクラスはまあすごい感じだったんですけど結局それについては書かないままだったな。
 
うーん、箇条書きすると、
 
初日、風邪でかなり辛い感じで参加

その夜くらいから、薬などに敏感すぎる自分の体ってやっぱめんどくせえなと思い始める

しかしそれって体からの何らかの訴えではと思う

わざわざ体調悪いのをこの日程にぶつけてきたのも体を通して言いたいことがあるのでは

二日目、↑のようなことを話すとキャシーさんが「今日はそのことを扱ってみては」と提案

仕上げのセッションの練習(練習っつってもほんとのセッションなのですが)で↑の件を取り上げる

すまん、箇条書きめんどくなってきた
 
ええと、敏感、ってことを言ってたのですが、あのね、まあがーっと書くか。
 
私の体質の話をすると、昼以降はカフェイン一切とれません、夜眠れなくなるから。
風邪薬なんかも胃が荒れるので胃痛が現れる前に服用を終らせなくてはならない。
風邪が治るか胃痛が来るかの勝負みたいな感じ。
酔い止めは飲んだら24時間眠くて起きていられない。
風邪のときに飲む栄養補給のドリンクなんかは、カフェインなし、と書いてあっても夕食後飲んだら一晩寝られなくなる。
理由は不明。
 
という感じでまあ摂取するものに敏感すぎて……と言ってもこの傾向は30歳過ぎくらいから顕著になってきたかな。
 
まあともかく、敏感なんすよ。 
 
でもね、それがめんどくせえんだよ。
みんな大なり小なり体質を考えて日々を送る、ということをしていると思うが、何かわし、めんどくさいんだよね、そういうのが。
 
敏感ですが体が弱いというわけでもない。
風邪もあんまりひかない。
しかし今回は長くての。
何か判るんだよ、治す気ねえな、と。
風邪ひいたらこれやってあれやって、みたいな常套治療法みたいなのがあるけれど、それも何か、判るわけ、そういうのやる気がないって。
 
薬は6回ほど服用したし、そうすっとそれ以上は飲まないほうがいいし、でもまったく風邪治ってねえし、もう自力で治すしかねえけど、そういうときにやる、ビタミンとるとかよく寝るとかエトセトラ、めんどくてできねえんだよ。
 
でも毎回治す気がないわけじゃないんだよね。
今回は
「ああ、治す気ねえんだな、これは、セッションのクラスに、この体調の悪さぶつけてきやがったな、何か理由があるな」
という感じで。
 
 
で、セッションなんですが。
ファシリテータ(セッションしてくれる人のこと)さんにはだいたい以下のようなことを話した。
(論理的にはすごくへんなんだけど、ってか、これこそが、「信じ込み」というやつです。ひとがどういうふうに「事実ではない」ことを自分の世界では信じ込んでいるか、よく判っておもろいと思うので読んでみてください。)
 
いろいろと敏感なんだけども敏感に察知したこととか感じたことを言うと母親に怒られたので言わなくなった。
(たぶん感じることも禁止した。)
 
自分のなかには序列があって、敏感だったり感受性の強い人は位が上になっている。
けれども自分はそういったヒエラルキでは一番下に決まっているので敏感なはずはない、というへんな図式がある。
 
(ここですでに大きな論理矛盾があるが本人はあんまり判っていない。あ、今は判ってますが。)
 
なのでひとにけっこう「繊細だ」と言われるが、言われるともう消えたくなる、絶対に絶対に繊細だとか言ってくれるな、と思う。
(ここかなり強い感情。)
 
ここで注目すべきは、「ただの性質」として「敏感」とか「繊細」があるだけなのに、私はそれに「母親が怒る」とか「序列」とか「自分は下」とか「繊細と言われると死ぬほどいやだ」とかものすごくいろいろなものをくっつけて、頭のなかで感じかたと思考の体系を作ってるんだよね。
これが先日書いた、「潜在意識のプログラム」というやつのことなんですが。
 
で、さっき書いた、
「ひとにけっこう「繊細だ」と言われるが、言われるともう消えたくなる、絶対に絶対に繊細だとか言ってくれるな、と思う」
ってのを言っていたら、遠くで聞いてたキャシーさんが、
「それ、敏感じゃなくて繊細って言葉でセッションしてみて」
とアドバイスを。
 
実際に、筋(肉)反射をとってもらうとよく判ったのですが、「敏感」という言葉は私のストレスポイントじゃなかったんです。
「繊細」という言葉がストレスポイントだった。
 
これねえ、私の感触ですが、最初、敏感、敏感、と言っていたのも、潜在意識の、「現状を変えたくない」プログラムの働きじゃないかなあと思う。
ピンポイントな言葉は「繊細」なんだけど、その「繊細」って言葉を回避してたんじゃないかなあと。
だってピンポイントな言葉を出したらそれをクルーに潜在意識、書き換えられちゃう可能性高いもの。
潜在意識ってすげえんだよ、こういう細工をもう四六時中してんだよ。
 
でもそこを聞き逃さないのがキャシーさんの、やっぱ非凡なところだよね。
聞きとったんだよね、私の潜在意識にほんとにプログラムとして書き込まれている言葉が「繊細」だということをね。
 
で、セッションをするのですが、ここまででじゅうぶん長いのでセッションの細かい方法は今回は書かないどこう。
 
あ、ただ、セッションの途中で、筋反射で、
「まだ情報がじゅうぶんに出ていない」
ということが出たので、再び「繊細」について話をした。
 
それで出てきたのが、自分が繊細でへんな人のせいで、子供のころからずっと周囲に受け入れられず、だからひとから「繊細」と言われたくないし、繊細でないふうにしようとした、という話ですが。
 
ここでファシリテータの人が、論理矛盾を指摘。
(指摘しようとしてしたんじゃなく、素朴な疑問、という感じでしたが。)
 
私は、
1.自分の序列のなかでは繊細は上。でも自分は序列では一番下のはずなので、自分が繊細なはずない
2.私は繊細なのでそのせいで周囲に受け容れられなかった
という完全に矛盾したこと(それぞれの太字部分をみてください)をまったく同じレベルで完全に信じ切っていたのです。
ここを指摘してくれたのね。
 
もうここまで来たら、たとえば年齢遡行(年齢をさかのぼって、この件についてストレスを解放しやすい年齢に戻ること)で感情の書き換えをするとか、そんなのはもうおまけと言ってもいいくらいだったな、今回は。
 
もうね、セッション前はね、あ、セッションではね、今話している問題について、
「その問題を感じると体はどんな感じですか」
ってのを訊くんだよね。
私はこのときはね、首まで空につっこんでる感じ、とか言ってたんだよね。
ともかく頭の上に何かあったんだよ。
それは、そう、空みたいで、透明で重さもないんだけど、「何かはある」わけ。
それがずううううっと私の上にあって、さっきも書いたように、それに首までずっとつっこんでて何か身動き取れない、みたいな感じがあったんだよね。
 
それがセッション終ったらさ、ねえんだよww
その、空みたいなものが。
頭の上、何もねえんだよww
あれはどこいったんだwwwwwwwwwwww と。
セッション終ったあと、トイレ行ったんだけど、もう自然に駆け出してたね。
軽すぎて。

 
この、「繊細」はねえ、私にとっては、何だ、ほんとに深いところに書き込みがあったってか。
↑で書いたみたいにほんとにいろんな書き込みをしていて、もちろん自己否定もしていて、繊細であることを自分に許可できないし、繊細な自分が受け入れられないし、でも繊細っていいなあと思うし、そんないいものに自分が当てはまるはずないし、でもひとに嫌われてきたのは繊細なせいだから絶対にひとに繊細だとけどられないようにするぞ、とかやってるし、ものすごく絡まったことをずううううっとしてきたんだよね。
 
今まで、いろんなセッションで、いろんな絡まりを解いてきて、去年秋には変化という意味ではほんとに大きな変化もあったけれど、でも今回のは、ってか、そうね、そうやって、徐々に変化してきて、大きな変化もあって、前も書いたけど、見性後はすべての歯車が逆転し始めた、という感じだったんだよ。
 
けど、このセッションのクラスの時点で、その逆転の流れの先に配置してあった、
「自分の本質をたいへん捻じ曲がった方法で否定してきた」
という壁にぶつかったわけだ。
 
でも、そういう壁って、ほんとに祝福なんだよね。
だって、壁があるぞって教えてくれて、そして今は、それを乗り越える方法を、こういうセッションなり何なりで、具体的に手に入れてるわけでね。
乗り越えられないはずないっていう。
 
 
クラスが終って、キャシーさんが、
「優さんはこれから繊細さを使えるようになるでしょう」
と。
 
で、その翌日とかは、脳が調整やってるな、ってはっきり判った。
文章書こう(キーボード打とう)とすると、上下、左右を逆に入力するんだよ。
何度も。
ああ、脳が調整中だな、と思いました。
 
で、その後どういう感じかと言うと、繊細さを認めるってことはさ、今までよりさらにいろいろ感じるようになっちゃうわけ!? とかちょっとどうなるか想像つかなかったんだよね。
今まででもうすでにひとのことが気になってしょうがなかったのに、これ以上いろいろ気づいて気になったらどうしよう、とか。
 
ところがね、反対なんだよねw
ひとのことがあまり気にならなくなったw
会社で、前だったら
「どうしよう、どうしよう、あのとき誤解されたせいで嫌われた」
みたいにずううっと気にしてただろうことがあったのに、ずえんずえん気にならないわけww
「ああ、まあそういうふうに受け取る人もいますよね、でもそれ誤解だし」
で終りww
 
自分の本質を受け入れたからかな!?
↑のこと以外にも、癖みたいに思ってしまうあることがあって、
「ああ、またこのことを思ってしまった」
と思ったんだけど、でも直後に、いや待てよ、そう思ってもいいじゃん、だって、私はそう感じる人なんだから、と、そう感じる自分を認められたり。
 
結局それまで、自分の感じることを、外部の尺度でジャッジする、ということをやり続けてきたんだよね。
だから心の軸足がずっと他人や外部にあった。
 
そして、だから、いつも不安だった。
だって、所詮外部のことですよ?
それをいくら自分のなかに設けてそれを基準にジャッジしようとしても、基準になるわけないやん、自分のものじゃないんだから。
 
それが、自分の本質、繊細、ということを、上下もなく、へんな絡まりもなく、「ただ繊細という性質がある」というふうに認めたら、それまで一生懸命すがってきた外部の基準がいらなくなって、
私はこう感じる人、それはそれで全然おk、でもそう思わない人もいる、それもまたそれで全然おk
と、軸が自分に来たんだよね。
 
 
は~、そう、こんな、もう超でかい出来事があったんですよ、今回のクラスでは!
 
 
長いついでにおまけを書くと。

ってか、ほんとは今日は瞑想の効果について書こうと思ってたんだけどねww
どんな効果を書こうと思ってたかと言うと、
「生理痛がめっちゃ軽減された!!」
ってことですww
 
こないだうちの瞑想中、めっちゃ体調整してるなあ、これ完全にストレッチやしww とか思ってたんだが。
生理痛って体の歪みとかからもくると言うから、ああ、もうこれで、私の場合、瞑想中に体の調整をやってくれていて、それが明らかに効果があって、ってか、ほんとに、人間って自分ですべて答えを持っているし自分ですべて調節したり解決したりできるんだよ。
そういうのをほんとに実感します。
 
目が痛くなってきたので終り。 
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by 6ssorelativo | 2012-03-09 23:27 |
潜在意識はプログラム体系だと言っても過言ではない。
 
特定の出来事があると特定の感情を湧かせ、その感情に従って特定の反応や行動をさせる。
 
そのプログラムがひとによって違うため、誤解が生じる。
 
まあ誤解の件はいいのだけども、意識の98%とも言われる潜在意識が人間を動かす、そう言われるが、それはその通り、人間は通常、潜在意識のプログラム通りに動いているだけである。
 
(これはこないだ書いた 「体を体さんに明け渡す」という話とは別です。)
 
だからプログラムを書き換えると違う行動をしだす。
が、書き換えは自分ではほとんどできない。
 
 
この件については早い話は私が習っているACRやらスリーインワンやらNLPでならば書き換えができます、ということではあるが、それらを利用せずに自分でできることがあるとすれば、常に気づいている、ということが挙げられる。
 
自分の言動のプログラムに気づいていること。
実際には(通常)潜在意識にはアクセスはできないので、プログラムの内容について考えようとするとすべて憶測になってきて、頭で作り上げた論理に執着してしまう。
 
ので、ただ、気づいていること。
自分が、さっき書いたように、
「特定の出来事があると特定の感情が湧き、その感情に従って特定の反応や行動をする」
というパターンに当てはまると思うのはどんなときかよく覚えておくこと。
そうするとだんだん自分のパターンが判ってくる。
 
パターンが判ってくると、たとえば
「会話中、相手がふと目をそらすと自分が実は嫌われているような気持ちになって焦ってフォローするような不自然なことを言ってしまう」
など、何があると自分がどう感じてどう行動してしまうのか判ってくるようになる。
 
それを冷静に覚えていること。
分析はしない。
原因も探さない。
ただ、知っておく。
自分がどういうときにどういう感情が湧いてどういう行動をするのか。
 
データが蓄積されてくると、そのパターン(無数にあるのでそのうちのいくつかでも気づけたらしめたものです)通りの行動をすると、自分で「あ、プログラム通り動いてしまった」と判るようになる。
 
ここまでくればこれまたしめたものです。
顕在意識を使って潜在意識を変える方法のひとつが、「選び直す」というもの。
さっきの例で言ったら、相手が目をそらしたとき、「嫌われているのかも」と感じたら、それに引っ張られないようにする。
あ、プログラムが作動しているな、と思う。
特定の状況であなたが「いつも」感じるものは、あなたの「パターン」なので、「事実」ではない。
「嫌われているのかも」は事実ではないということですね。
 
で、そこまで判ったら、さあ、何を「選ぶ」のか。
以前だったら嫌われていると怖いので不自然にフォローの言葉を言ってしまっていた。
しかし、自分の「嫌われているのかも」という感じかたが自分特有のプログラムなだけであって「事実」ではない、と判った今、あなたはただ「相手が目をそらした」というプレーンな「出来事」と向き合う試みができる。
そこで、以前と同じように焦って不自然なことを言ってしまうか?
なるべく落ち着いて別の話題を探すか?
あるいはほかにも無数の選択肢があると思う。
 
「パターン」に気づいたら、「パターン」内で自分が感じる(しばしば強い)感情はただのプログラムの稼働だと認識すること、そして、その「パターン」を外れた行動を選んでみること。
 
何度も練習すればいい。
あ~またパターン通り行動しちゃったよ、となってもいい。
何度も、選び直す。
きっと、あなたが選び直せるようになるまで、潜在意識は同じようなシチュエーションを何度も繰り返してくれる。
そのたびに練習をしよう。
 
 
「パターン」がこなくなったら、そのパターンについては潜在意識が書き換わったと思っていいと思います。
 
何度も同じことが起る、というのはまさに潜在意識のプログラムが稼働している証明であって、つまり、「潜在意識は願望を叶える」というのはほんとだということです。
顕在意識では「もうこんなこといやだ!」と思っていても、潜在意識は、書き込まれた通りのプログラムを忠実に実行しているだけ。
 
あなたの現実は潜在意識に書き込まれた通りである。
現実が気に入らないならば潜在意識を書き換える。
第一歩は「常に自分の言動に気づいているようにする」こと。
これは実は「覚醒」への道とまったく同じってのが興味深いです。
 
おわり。
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by 6ssorelativo | 2012-03-07 22:48 |

日々、潜在意識に操られるのもしんどいですよね。操られないポイントは、潜在意識と対立しないこと。そして潜在意識に負担をかけないこと。そのへんのお話から、前に進むヒントをお伝えします。(Access Code Reading(略称ACR)はキャシー天野さん開発のセラピー法です)


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