流れを信頼する

セッションでよく、
「この状況は、どういうふうに変えたらあなたは安心しますか?」
という質問をしますが(ただ最近は訊き方を変えています)、私は受ける側として困ったことは、「安心している」という感覚がまったくわからなかったことです。

でもこれは当然のことで、私は「安心という感覚を感じたことがないので」いつも不安だったのです。
何かふざけてるような文章ですがw

が、セッションで年齢を下がっていくと、たまに、
「それまでは安心してたんだけどあるとき不安に引っ張られるようになった」
という境目が出てくることがあります。

重要なのは、境目がいつだったか知ることでなく、かつては安心を知っていた、ということです。

でも、今は安心できないんですよね。

人は、一度感じたけれども失った感覚は、パズルのピースを(その人の運命や潜在意識が決めた)順番の通り埋めていったあと、また感じることができます。

セッションで何をやっているかと言うと、もちろん、「こうすると安心する」とか「こうしたら心地よい」とかいう事柄を探ることも重要なんですが
(こういった事柄は今の自分に生かすことができるので。たとえば、胎児に戻ったときに、寒いから心地悪い、というのが出れば、自分は寒さに強くないのかも? と、今の生活に活かすことができる)、
「安心」「心地よさ」という感覚をセッションで一度は感じた、ということが一番の主眼になります。

一度感じた感覚は、日常生活に戻って感じられなくなったとしても、さっき書いたようにその時が来れば、あるいは、何かのきっかけで、また取り戻すことができます。

セッションでは、自分がほんとは感じたかった感覚、を感じる訓練をしているとも言えます。

さて、安心が不安にとってかわった、という境目がない人は、どうしたらいいんでしょう?

安心感というのはつまり、
「流れを信頼する」
ということであります。

だから、えいっ、と、流れ、つまり、起る出来事、感情、すべてを、判断せず、「へえ~」と言って過してみよう、とすると、まあ、それが、流れを信頼している状態、何があってもまあいいもんね~、と何だかいろいろと楽しんでいる状態、で、これが、「安心している」という状態であります。

頭を失くせ、というのは、Oshoも言っている。
(いつか、かと言って頭は悪者ではないですよ、というのも書きますが)「判断」が、自分自身を苦しめます。
「判断」をする頭をなるべくなくすと、出来事はただ起っていて、実はそこに意味はなくて(ここはほんとは慎重に書かないといけないところですが今は「意味はない」と書いておきます)、自分の日常も人生も、陽が昇って沈む、という自然の摂理と何ら変らないことが、わかるときが、いつか、、、

Now playing "我、闇とて…" by DIR EN GREY
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by 6ssorelativo | 2015-03-07 16:32 | ACR(アクセス・コード・リーディング) | Comments(0)

昔の記事はそのまま残しつつ、また生きる上でのつらさを軽くするヒントをお伝えできれば嬉しいです


by 6ssorelativo